創立25周年記念プロジェクトの一環として、
パソコン通信体験コンテンツ「Welcome to NIFTY-Serve」を公開しました。
Twitterを通して、たくさんの思い出やメッセージをいただき、まことにありがとうございます。
みなさまから寄せられた温かいメッセージの中から、いくつかご紹介します。
【お知らせ】各フォーラムに投稿ができるようになりました!
![ニフティ25周年記念「Welcome to NIFTY-Serve」へのメッセージ紹介 Message for NIFTY-Serve[ニフティサーブ]](/25th/niftyserve/message/images/ttl_msg.gif)
創立25周年記念プロジェクトの一環として、
パソコン通信体験コンテンツ「Welcome to NIFTY-Serve」を公開しました。
Twitterを通して、たくさんの思い出やメッセージをいただき、まことにありがとうございます。
みなさまから寄せられた温かいメッセージの中から、いくつかご紹介します。
【お知らせ】各フォーラムに投稿ができるようになりました!
小学生のころ、中学生のころ、ニフティサーブでパソコン通信を楽しんでいました。そして、今、私は、インターネット業界で働いています。
ニフティでは、いろんなことを勉強させてもらった。コミュニケーションの取り方とか。恋とか^^;
93年、ドーハの悲劇の後 FSOCCERのRTでは数千人が泣いていた。 94年サンマリノGPでの FMORTOR4のRTでは一万を超える人が泣いていた。
なんか当時の空気感がぶわっとこみあげてきた(;_;)中学生の頃の夕方の実家の居間とか。ニフティーサーブ
Nifty 25周年。阪神淡路大震災の時、Niftyのフォーラムで安否がわかった友人がいる。怪我をして神戸市外に搬送されたという情報を倒壊の現場で聞き込んだ人が教えてくれた。地震から4日後、ほんとうにありがたかった。
みかか、テレホ、霊魂w
25年かぁ..そ〜いや 今年娘が25だ(笑)子育てそっちのけで毎日RTしてたっけ(^_^;
♪夢はモデムに託すもの ハードディスクは愛のログだらけ〜 by 悲しみのNifty-Serve
ある日、高校時代の同級生が言ってきたこと。「おれはNifty-Serveに繋ぐけど、お前はどうするん?」「は? なにそれ。」すべてはこれが始まりだった....。
メールは中村常務からかなと思って覗いてしまった。
1989年、初めての海外駐在にニフティのアカウントを取得し初代ダイナブック片手に赴きました。海外で生活するライフラインでしたね。25周年おめでとう!
#nifty25 がおっさん(おばさん)ホイホイな件について
パソコンの懐かし話をなるべくしないように、しているのだけれど。それにしても、これは懐かしい。泣きそうなぐらい。まるで、昔の歌謡曲を聴いて、その時の情景をありありと思い出してしまうかのよう。
両親はニフティサーブで出逢いました
NIFTY懐かしい。ハビタットとAIR WARRIOR、モデムの最新ファームをダウンロードするためにCompuServe、xxxをゲットする為にalt.binary。alt.binaryは他所かな?
ID覚えている人多すぎ。という自分も20年近くたつ今も覚えているけど。
課金従量制だったあのころ…ぱーっと巡回してあとでログ読む。はやく返事したいときは「オン書き失礼します」。そうそう、書き込みもレスもすごく気を遣ってたあのころ。ニフティはクレカが持てる大人だけの社会で居心地良かった。
逆に新しくておもしろい!!これがパソコン通信かあ、、
PostPetの構想はニフティサーブのパティオで生まれたんだよなぁ。最初に案を持って行ったのはSo-netだけど、ダメだったらニフティに提案してみるつもりでした。
20年前の自分にタイムスリップした。泣いた。
Nifの福井県登録1番はわたしの先輩です。あたしは数番目だったなぁ。25年周年おめでと!
かつてニフティサーブのチャットルームには、「会話くん」なる激ヤバいサービスがあった。今のGoogleをもってしても、あの気が狂いそうになるクオリティーは再現できまい。
18年前、アクセスポイントの番号を間違えて人んちにかけてしまい、モデムから「なんだこれ!うるせえぞ!」って知らない人の怒鳴り声が聞こえたときは震えました。
この企画のおかげで、当時の仲間と再会することができました!
当時、北京からCompuServeのVAN経由→アメリカ 7ビット→8ビット切換後→Nifty-Serveに繋げた想い出がある。
ニフティサーブがなかったら、この仕事はしてなかったとは思う。業界に引きずり込まれるきっかけになった出会いもあったし。まさか文章を書いてお金がもらえる商売に就くなんて大学に入ってからも想像してなかった
茄子Rと魔法のナイフでだな・・・ (うざったがられるおっさん全開中)
#nifty25 を見ていたら、映画「ハル」を思い出した。いい映画だったな〜 でも今の若い人には伝わらないだろうな〜 久しぶりにまた観たくなった。
Nifty懐かしいなぁ〜。週末はCBチャットで朝までチャットをしてたなぁ〜。
ニフティサーブで知り合って結婚して、子供がもう高校生・・・
うわぁあああん、泣けた〜〜〜っ。・゜・(ノ∀`)・゜・。 懐かしいなぁ、ホントに。まだ数年分の生ログが入ったフロッピー、持ってるよ。
私がネットの世界に入ったのが、今から23年前。ニフティーサーブのパソコン通信でした。ほとんどROMばかりでしたが、初めてポストして、レスが返ってきた時の感動は、今でも忘れません。25周年おめでとう。
ピーーーガーーーって鳴ってくれよ!
パソ通はセガサターンでしかやった事が無いというのはやはりマイノリティなんだろうな…。
わははは。いつの間にこんなものが^o^ しかし流石に電子会議室の中には入れないのですな。過去の悪行がばれなくて本当に良かった<おひ
おっさん世代が泣いたwww
昔お付き合いしていた男の子に、聞きながらパソコン通信をはじめたことを思い出します。普通にネットで会話したり、人と出逢うこんな時代がくるなんて…本当におめでとう25周年!
ニフティサーブ限定復活! 私「昔、パソコン通信てのがあったなあ」 妻「あ、私もやっていた」 私「旅フォーラムってのがあって、〇〇とか△△とかハンドルネームがあって」 妻「あら、そのハンドル、私よ」 すごい偶然!
実名匿名論争も、著作権侵害問題も、炎上も、チャットも、オフミーティングも、海外からのネット接続も、25年前から、すべて揃っていた。何も変わっていない。ユーザーが増えて、インターフェースが変わって、料金がタダになっただけw
パソコン通信に凄く憧れてた9歳ころの俺がいる そのままネットの時代になっちゃったけども
コマンド手打ちしてると本当に時間課金されてる気がしてきてうっかりbyeって打ってしまうではないか
ニフティ25周年サイト。あの頃と今と比べて、自分自身はあまり変わってないな。爺さんになってしまったけど。
まどろっこしいけど、なんかかっこいいぞ!
ぐは。。。。本気でちょっと懐かしすぎて泣きそうw 旦那と知り合ったくらいのニフティのTOPが再現されてる!
俺の音響カプラーが反応した
課金にびびりながらチャットしたり、巡回ソフトでフォーラムまわったりこう、無限のコンテンツがモデムの先にある感じがしたもんな
私は久しぶりにネットの旧友にあった夢を見ました。多分、昨夜、ニフティの25周年コンテンツをみていたからだと思う。
おわ、nifも25周年でしたか。あの時代がなければ、今のインターネットはなかったのかもしれませんね。ちなみに、旦那に操作させたら、涙目で喜んでました。そんな時代も、ありましたね。
ミカカ7万円/月とかフイタ
ハッシュタグ見てると、当時を懐かしがっている人がいっぱい。あの頃話した誰かと、twitterで再び会話しているような偶然もあるのかもしれない。懐かしい‥懐かしすぎる、ニフティ!パソ通!原点だ。
あるフォーラムで最後のSYSOPやらせて頂いてた「ぴっける」です。思わず保守しそうになったよ(笑)
阪神大震災のときは、NIFTY-Serveで現地や大阪の人たちと情報やり取りしたなぁ。インタネットのない時代。電話は夜明けから翌朝2時ころまでは関西に通じなかった。その後から朝方までNIFTY-Serveに繋がった記憶
CUIで人とやり取りするって憧れを感じる
自分がサブシスをしていたフォーラムに入って、不覚ながら涙が出そうになりました。ありがとうnifty!
パソコン通信時代に習ったこと。「機種依存文字は使わない」「マルチポストはしない」「カッカして書いたメールは、一晩置いて落ち着いてから、もう一度読み直してから送信しましょう」。それと営業行為は禁止でした。
ネットのマナーやルールとかは全部ここで叩き込んでもらった。その辺は結構うるさいというか厳しい目だったと思う。その後ニフティの外の世界に飛び出した時、周りがゆるくてびっくりしたくらい。痛いことやらかしたりもしたんだよなぁ…
あーーーーーーーメンテおちしてぇ〜
テキストだけのこの画面の向こうにはたくさん人がいるんだ!という感動は忘れられない。
昔は掲示板を見つけてROMって素養を身につけて。情報提供で慣らして質問できるようになって、それからやっと本来知りたいことが知れた。ググれば判る今よりハードルは高かったけど。得たものは今の自分に知識基盤として生きる大事な知識。ニフティ25周年おめでとうございます。
まだ従量課金制だったから「ニフティサーブに接続します」って案内が出た瞬間からが勝負だった。めっちゃ緊張感あった。未だに「ニフティサーブ」って単語が小さなトラウマ。