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■第3章:決意(2)(8/18)
翌日、と言うよりもう「当日」だったが、目覚めたのは午後二時過ぎだった。十時間以上眠っているのに、まだ二日酔いが抜けていない。三十歳を過ぎたあたりから、深酒をした後は翌日の夕方くらいまでアルコールを引きずるようになった。それでも僕はのろのろとベッドから這い出して、まずはゆっくりと風呂に浸かって体から毒気を抜いた。
あまり食欲はなかったが、ありあわせのもので簡単に食事を済ませると、マンションを出て、近くの書店に直行した。食事療法についての本を探すためだ。
まずは血糖値を下げることを優先して、食事療法については入院の後半でみっちり教えます。立花医師はそう言っていたが、入院まではまだ何日もある。いったい、何をどうすればいいのか。何もわからないままでいるのはあまりに不安だった。それに、共働きであるわが家の場合、食事療法を妻に丸投げというわけには絶対にいかない。まして奈津は、一応食事係だとは言っても、これだけ多忙なら、現実問題として食事などほとんど作る余裕がないだろう。すべて自分でやるくらいの気構えで望むことが必要だ。
僕にとって、「勉強する」ということは、本質的に苦にならない。学生時代も好きだったし、今も折りに触れてなにかを「勉強する」ことがある。語学マニアでもあるので、フランス語や中国語などのテキストもちょくちょくめくっているが、最大のウェートを占めるのは、小説を書くための取材だ。物語に厚みを持たせたり、設定にリアリティを添えたりするためには、いろいろな分野の知識が必要になる。昆虫の生態がキーになっているミステリーを書くために、「昆虫生物学」とか「寄生バチと害虫管理」といった専門的な本まで買い込んで、一から勉強するという凝りようなのだ。
まして自分の体に関することなら、もっと熱心になれる。いや、この言い方は正確ではない。「体が大事」と本当に思っているのなら、そもそも前後不覚になるまで飲むことを繰り返したりはしない。むしろ、そうやっておもしろおかしく生きていくことに対する障壁が眼前に立ちはだかったとき、どうしたらその障壁を取り除くことができるか、その点についての研究は惜しまない、と言う方が実態に近い。
障壁が「病気」なのであれば、その病気についての知識や、その症状を改善させる方法についての知識を正しく、より多く会得することによって、活路を見出せるのではないか。亜梨沙に向かって、「酒が飲めるのも今日が最後かも」と言ってみた僕だったが、実のところは、まだ未練たらたらだった。酒を断つために思う存分飲むのだと宣言してみた僕だが、そんなことで「区切り」がつけられるはずもない。アルコールが頭に回っていく際のあの多幸感を二度と味わえないなんて、本心ではたぶんまったく信じていなかったと思う。
食の楽しみや酒の楽しみが奪われてしまった人生なんて、僕には考えられない。必ず、道を見つけ出してやる。そんな気持ちだった。
私鉄沿線のちっぽけな街なので、近所にたいした本屋もない。しかしどんな小さな本屋でも、生活習慣病に関する本の一冊や二冊は置いてあるものだ。はたして、ガーデニングや料理関係の本が並ぶ一角の片隅に、それはあった。「高脂血症の食事」と「腎臓病の食事」に挟まれる形で、『糖尿病の食事』。それに類するものはほかに見当たらない。ろくに内容を改めもしないうちに、僕は大急ぎでそれをレジに持っていった。
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