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■第12章:軋轢(2)(10/23)
ただ、それがたやすいことでなかったのは言うまでもない。僕はまるで求道者のように、自分自身を厳しく律した生活を続けていた。食事療法や運動療法を実践しなければならなくなったことで、生活形態そのものが大きく変わったわけだから、その分、本当ならなにかをあきらめなければならなかったのだと思う。しかし僕には、それができなかった。それまで続けていたことはそのまま続けた上で、さらに治療に関わる膨大な雑事を上乗せしようとしていたのだ。
語学の勉強や読書などはもちろんのこと、僕にとって最も大事なのは、小説を書くことだった。それだけは、譲れなかった。以前よりそのための時間を取れなくなったことはやむをえないとしても、「まったく書かない」ということは、僕には考えられなかった。
そうまでしてなぜ小説の執筆にこだわったのか、不思議に思う人もいるだろう。新人賞の予選もめったに通過しなくなり、もはや積極的に応募することさえなくなっていたというのに。でもたぶん、だからこそ、なのだ。あきらめてしまう瀬戸際まで来ているという自覚があるからこそ、僕はそれを意地でも死守しようとしていたのだ。
僕が本気で小説を書きはじめたのは、社会人になってからだ。ほかに選択の余地もなくサラリーマンにはなってみたものの、会社に行って帰ってくるだけの毎日は、味気なかった。なにか、人生をそれだけでは終わらせないプラスαが、「もうひとつの世界」のようなものが欲しかった。そのとき思いついたのが、小説を書くことだった。その中で繰り広げられるできごとや物語は、文字どおり、「もうひとつの世界」だ。自分の想像力だけに頼って、別の世界を生み出しつづけること。それが、単調な毎日を送る僕にとって、大きな支えになっていた。
自主療法に汲々としているこのタイミングでもし執筆を断念したら、どうなるか。生活はきっと、それだけで埋め尽くされてしまうだろう。療法を実践するためだけに生きる生活。そんなのはまっぴらだ。たとえ病人としてさまざまな不自由を強いられる身であったとしても、意義ある暮らしを送ることはできるはずだ。それを証明するためにも、「小説を書いている」という事実が絶対に必要なのだ。
僕は自分にそう言い聞かせながら、毎晩少しずつ、無理にでもパソコンに向かっていた。三十分でも十五分でもいいから、書くための時間を工面しようとした。ある意味で、それこそが僕にとって、最後の砦になっていたのだ。
しかしそのためには、降りかかる山のような用事を、それこそ分刻みでてきぱきとこなしていかなければならない。
やらなければならないことは、あまりに多かった。
奈津がそれほど忙しくなければ、あるいはもう少しましだったかもしれない。しかし、残業や接待などで連日遅くまで働き、土日もほとんど家にいない奈津に、何が期待できただろうか。逆に期待する方が人非人みたいな気がしてくるではないか。
食事係が僕になった都合上、洗い物は奈津の担当と決まっていたが、十時ごろ帰ってきてようやく食事を済ませた奈津は疲れ切っていて、すぐに食器を片づけようとしない。僕としては、早くきれいになったキッチンで翌日の朝食の仕込みをしたいのに、シンクにはいつまでも汚れた食器が積み重なったままだ。いつやるんだろうとやきもきしながら待っているうちに、時計は十一時を回り、十二時に近づく。この分だと明日の弁当も用意できるかどうか。かと言って、見るからにくたくたの奈津をせっつくのもためらわれる。
やむなく僕は、自分の担当でもない洗い物を、黙って代わりにやりはじめる。最初の頃は奈津も、「あ、後でやるからいいのに」とか「あ、ごめんね、お願いしちゃっていい?」などと言っていたが、そのうち、それさえ言わなくなった。まるで、食事を用意するのも片づけものをするのも、もともと僕が担当であったかのように。
そして朝食用の野菜スープを仕込んでから、おずおずと「あの、明日のお弁当は?」と訊ねると、疲れ切った声で「ごめん、ちょっと作れないと思う」という返事。僕はため息をつきながら、その仕込みもやってしまう。すべてが終わったときには、もう一時を回っている。
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