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@nifty『シュガーな俺』


第17章:天国と地獄(1)(11/20)


 三時間後、僕は“ブルータス”のフロアで亜梨沙と並んで、ザ・ストレーツが奏でるアース・ウインド&ファイアーの「宇宙のファンタジー」に合わせてアホのように体を揺らしていた。まったく、宇宙船ファンタサイ号で幻想の国にでも連れ去ってほしい気分だった。

 まだ早い時間なのに、もう何杯飲んだかも覚えていなかった。なにもかもがどうでもよくなっていた。僕はことさらにはしゃぎ、日中、病院で聞かされたことなどなかったかのように振る舞っていたが、心の底には、受け入れがたい事実といまだ死闘を繰り広げている別の自分がいた。

 「片瀬さん、超よかったでございますねぇ、またこうして飲んで踊ってアホにおなりになれて」

 ステージが終わり、席に戻ってから、亜梨沙が紅潮した顔で言った。「アホにおなりになれて」はないだろうと思うが、事実、「アホ」になりたくて来ているのだから、やむをえない。

 「前にここに来たときには“飲み納め”とか仰せだったのに。歳月は日々に疎く、虎穴に入らずんば虎児を得ないものでございます」

 亜梨沙が挙げたことわざは二つとも用法が間違っていたが、僕はただ笑い飛ばして、スミノフをなみなみとグラスに注いだ。

 「今日はちょっとね、“ブルータス”気分だったんだよね。英語で言うと、ブルータス・ステート・オブ・マインドね。ねえねえ、ビリー・ジョエルのさ、“ニューヨーク・ステート・オブ・マインド”って曲、知ってる? ビリー・ジョエルってさ、中学の頃けっこう好きだったんだけど、田中康夫が『なんとなくクリスタル』の註の中でビリー・ジョエルのことを“ニューヨークの松山千春”とか言っててさ、最初それ、納得できなくてさ、いや、松山千春が悪いってんじゃないんだけどさ、ほら、松山千春と言えば、“長い夜”じゃん? あれってさあ、ひところずいぶん物まねされたけどさあ……」

 僕は口から出まかせに、どうでもいいことを途切れなくしゃべりつづけた。亜梨沙が相づちを打つ余地さえないほど立て板に水で。理由は簡単だ。踊っていない間は、少しでも黙ると、直面したくない事実が地中から躍り上がって僕の足首を掴み、奈落の底に引きずり下ろそうとするような気がするからだ。
 
 しかしやがて亜梨沙が、そんな僕のひとり語りを不意に制止した。

 「あのっ、しばし、片瀬さん!」

 「な、何?」

 「なんか、さっきから自動的にしゃべっておいででは? ロボットみたいでございす。変ですよ、今日、ノリが」

 「いや、それは……ハハ、酔っぱらってるからね。いつものことと言うか、ね」

 亜梨沙は眉根に皺を寄せ、疑わしそうに僕の顔をためつすがめつした。ただの酒好きのように見えて、変に勘が鋭いところがあるのだ。

 「そういえば……さっきメールに書いておられた“お祝いしたいこと”って、何だったんでございましょうか?」

 頭を鈍器で殴られたみたいに、視界が暗くなった。僕は傾けていたウォツカのグラスをテーブルに置き、ため息をついた。

 「亜梨沙ちゃん……“祝い”という字と、“呪い”という字は、似てると思わない?」

 亜梨沙は人さし指で空に「祝」と「呪」を続けて書いてから、うんうんとうなずいた。

 「たしかに。で、それがなにか?」

 「いや、なんでもない」

 「えー、気になります。仰せになっちゃってくださいよう」

 僕は彼女から目を逸らしてスミノフを飲もうとしたが、亜梨沙に腕を引っ張られて膝の上にこぼしてしまった。

 濡れたところを紙ナフキンで叩いていたら、胸ポケットの携帯が鳴った。ディスプレイには「自宅」とある。つまり、奈津からだ。

 一瞬、身がこわばった。

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