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■第17章:天国と地獄(1)(11/20)
朝、声をかけるのもためらわれるほどかたくなに僕を拒んでいる姿を見送って以来だった。まだ八時台で、奈津が帰宅しているにしては早いのも気になるし、そもそも、普段はよほどのことがなければ自宅からわざわざ携帯にかけてきたりしない。
もしかして、仲直りしようとしているのか?
緊張を解けないまま、僕は亜梨沙にひとこと断ってから電話に出た。
「あ、もしもし? 私だけど、今、話してて大丈夫?」
特に機嫌がいいとも悪いとも言えない、いや、どちらかと言うと機嫌がよくはなさそうな、平坦な声で奈津が言う。
「今日はちょっと早めに上がって、さっき帰ってきたとこなんだけど、留守電が一件入ってて……。喬ちゃん宛てなんだけど、大事な用件っぽいから」
「ああ、そりゃわざわざ……」
和解の申し出じゃなかったのか。僕はちょっとがっかりしながら、そのメッセージの主を訊ねた。
「コウエイシャの、ナガクラ……って聞こえるんだけど、男の人の声で。遅くてもかまわないので折り返し電話くださいって」
まったく心当たりがない。コウエイシャ? コウエイシャと言えば普通は大手出版社の興栄社だが、そんなところが僕に連絡を寄越してくるはずがないではないか。
「コウエイシャって……あの興栄社じゃないよね?」
「それは私もわからないよ、音でしか聞いてないんだから。とにかく、吹き込んであった電話番号を言うから、かけてみたら? あ、メモできる?」
僕は慌ててバッグからボールペンを取り出し、紙ナフキンに奈津が言う番号を書きとめた。
「じゃあね。まだ飲んでいくんでしょ?」
「ああ、うん……」
奈津の声音があまりに事務的な感じなので、僕の方も素直になれず、通話は歯切れの悪い感じで終わった。いずれにせよ、今はこのコウエイシャの正体を突き止めるのが先決だ。
「ごめん、もう一件」
僕はそう言って亜梨沙を待たせておいて、奈津から聞いた番号にかけてみた。直通番号だったらしく、電話口に出たのはナガクラ氏本人だった。
「自宅の方にお電話をいただいていたようなんですが……」
「あ、片瀬喬一さんですね。お世話になっております」
「あ、いえこちらこそお世話に……」
お世話に、なった覚えはないと思う。まちがいなく。
ただでさえ混乱している僕に、ナガクラ氏はさらにわけのわからないことを言ってきた。
「それで、先ほどお電話さしあげたのはですね、このたび片瀬さんが『新世紀フィクション大賞』に応募なさった『イジリ写真館』が、社内選考会で二次予選を通過しまして、いよいよ選考委員の先生方がご覧になる最終選考に進むことになりましたので……」
この人はいったい、何を言っているのか?
新世紀フィクション大賞? 応募? 最終選考? いったい何の話だろう。そんな賞に応募した覚えはない。いやそもそも、ここ二、三年の間、なにかの賞に応募したことはなかったはずだ。人違いじゃないのか。しかし、『イジリ写真館』は、まぎれもなく僕が書いた小説だ。
「……選考会は七月二十八日の午後四時くらいからを予定しております。毎回、だいたい午後六時前後には結果が出てます。受賞されたか否かにかかわらず、片瀬さんをはじめ最終選考に残った方には……」
「あの、すみません、ちょっと待ってください。ちょっと……お待ちいただけますか?」
淀みなく続くナガクラ氏の説明に、かろうじて割って入る。
「えーと、あの……すみませんが、実は状況が今ひとつ把握できなくてですね、その、もう一度言っていただけますか? そちらは、あの、出版社の興栄社さん、ですよね? で、『新世紀フィクション大賞』? それの最終予選に私の小説が? ええとですね、そこがわからないんですが……」
はたでそれを聞いていた亜梨沙が急に目を見開いて、その場でぴょんぴょんと体を跳ね上がらせはじめた。
「それ私、それ私!」
そう言いながら、自分の鼻先を指さしている。いったんレシーバーを手で覆って、「なに?」と亜梨沙に訊ねると、宣誓をするみたいに手のひらをまっすぐにこちらに向けた。
「前に片瀬さんからお預かりした原稿、私が片瀬さんの名前と住所書いて、それに応募いたしました!」
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