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■第19章:甘い生活(2)(12/4)
とある医師の「セカンドオピニオン」によると、僕は1型でも2型でもなく、「緩徐進行1型」というタイプにカテゴライズされる糖尿病患者であるらしい。
芒手先生のことを疑ってわざわざ別の医師の見解を求めたわけではない。たまたま風邪をこじらせて近くの総合病院の内科にかかったとき、問診票にあった「糖尿病」の字に反応した医師から、訊かれるままにこれまでの経過を伝えていたら、そう言われたのだ。あまりにあっさりと、「ああ、カンジョシンコー1型ですね」と。
発症時点では2型様の症状を呈し、薬物・食事療法などで症状がいったん改善されるが、その後平均して三年の間のある時点から、自己免疫反応による膵臓β細胞の急速な破壊が進み、最終的には1型と同等、つまり、インスリンに依存する状態に至る。それが「緩徐進行1型」、要するに、「進行の仕方が遅い1型」ということだ。
普通、1型というのは突然発症し、非常に短い期間に病状が進行するのだが、「緩徐進行」の場合は、いわばその前哨段階としての「2型期」がある、というイメージで捉えるとよい。なんとも意地の悪い進行の仕方をする病気だ。
僕のケースは、ほぼ疑いなくその条件に合致すると思われた。
ただ、「2型期」の時点で、単なる2型なのか、「緩徐進行1型」の前哨段階としてのそれなのかを見分けるのは、困難なようだ。だから、ほぼ僕の「2型期」しか診ていない都立新宿病院の立花医師の診断が「不適切だった」とは、必ずしも言えない。
「まあ、ここ十年くらいの間のことですね。そういうパターンを、1型でも2型でもない、独立したひとつの“型”として認知しようとする動きが出てきたのは」
その医師はおしゃべり好きな人だったようで、糖尿病治療の現況について、訊きもしないのにいろいろと講釈してくれた。
医師によっては、それを認めない立場を取っている場合もあるようだ。内分泌学会でも有名だというベテラン専門医の芒手先生がそれを知らなかったとは考えにくいので、彼は「型ではない」という見解の持ち主なのかもしれない。もっとも、都立板橋病院の星野医師は、ちょっと微妙だ。あの動揺っぷりからすると、単に知らなかっただけなのではないかとちょっと疑いたくなる。
ごく初期に「緩徐進行1型」であることが見定められていれば、残存しているβ細胞を保護する方向での治療により、2型のままに留めておくこともできるというが、僕の場合はもう手遅れだ。β細胞の破壊は不可逆的な現象で、一度死んだ細胞を蘇らせることは、現代医学の力をもってしても(今のところは)できない。
問題は、僕が「緩徐進行1型」であるとして、その発症原因は何なのか、ということだ。最終的には1型になってしまうわけだから、そういう意味ではこれは「1型の亜種」だ。だったら発症原因も1型と同じで、「ウイルス感染等の突発的な理由による自己免疫反応」なのかと言うと、必ずしもそうとは言えないらしい。そもそも、1型の発症原因自体、まだはっきりとはわかっていないのだ。
「逆に言うとですね、いわゆる2型の患者さんでも、長い年月の間にだんだんと1型に症状が近づいていく場合もあるんですよ。最後は1型と同じように、膵臓の機能がほとんど停止して、インスリンをまったく出せなくなってしまうこともある。それは“ものすごく進行が緩慢な1型”であるとは言えないのか?」
「2型は本人の不摂生が原因、1型は本人の責任範囲外」と単純化して覚えていたが、どうやらそう截然と境界を設けられるものでもないらしい。「糖尿病」と言うと、誰もが名前を聞いたことはあるポピュラーな病気だから、所見や治療法などももう完全に確立されていて、これ以上探求の余地がないものと思い込んでいた。しかし実際には、意外なほど歴史の浅い分野であり、まだまだ解明されていないことがたくさんあるようなのだ。
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