
「軽症・中症・重症で言ったら、重症ですね。このまま放置しておくと、確実に死にます。一日も早く入院しなければなりません」
太りぎみのプロレスラーみたいな体型をした立花医師が、きっぱりとそう言った。なるほど、この体型では無理もない。医者と言えども人間だから、病気をすることもあるだろう。しかし、なんだってこの人は、そんな自分のプライバシーに関わることをわざわざ僕に打ち明けるのだろう。
「とりあえず今は応急処置として、血を薄めるために点滴打ちますね。とにかく、急いで処置することが大事なんです」
そう言うなり立花医師は、有無を言わさず点滴の針を差し込んだ。
僕の細い腕に。
------え? 僕?
いや、もうあらかた覚悟はできていたはずだ。異常な喉の渇き、頻尿・多尿、激ヤセ、全身の倦怠感。どれを取っても、『家庭医学大事典』で見た「それ」の症状と一致している。十中八九そうだろうと踏んでいて、予想どおりの診断が下されただけだ。それでもなお僕は、それが自分自身に起きたことなのだとはどうしても信じられなかった。
糖尿病で、しかも重症? もともとヤセ型のこの僕が? 父親も祖父も贅肉ゼロの体型で、一族郎党にもそんな病歴を持つ人間がいないというのに? しかもこの歳で?
しかし検査結果は、冷酷にも動かぬ証拠を突きつけている。健常者なら食前で八十〜百、食後でもせいぜい百四十程度と言われている血糖値が、僕の場合、食前でさえ三百を優に超えている。これまで自分の血糖値なんてまったく気にしたこともなかったが、この数値が尋常でないのは素人目にも歴然としている。
「片瀬さんは、三十三歳ですか。びっくりでしょう。糖尿病って言うと、もっと年配の、どちらかと言うと太った方がかかるものだと思ってませんでしたか?」
「ええ……」
頭の中が真っ白になってしまって、生返事するのがやっとだ。しかし立花医師は、そんな僕にはおかまいなしに滔々と話しつづける。なにやら嬉しそうに。
「でもね、最近は多いんですよ、若い人にも。体型もね、実はあんまり関係ないんです。見た目が痩せていても、その人の基準では太ってるってことがありますから。片瀬さん、過去何年かの間に、急激に体重が増えたこととかありませんでした? 糖尿病になる人って、必ず過去にその時期があったはずなんです」
言われてみれば、結婚してからの三年間で、実は十キロも体重は増えている。もともと痩せすぎだから太ってもあまり目立たなかっただけだ。肉がついたのは主として下腹部だったし、外目にはほとんど気づかれていなかった。
「その間にね、膵臓からどんどんどんどん、インスリンが出ていったんです。血糖値を下げようとして。そうやって酷使された膵臓が、悲鳴を上げちゃうんですね、"もうインスリン出せないよー"って。それが今の片瀬さんの状態なんです。片瀬さん、清涼飲料水をガブ飲みしたりとか、してませんでした? あ、それはない。あ、そうですか。若い人だとそのパターンが最近目立つんですけどね。あれってはっきり言って、糖分のカタマリですから……」
僕が「清涼飲料水をガブ飲み」しないのは事実だ。そもそも僕はコーヒー党で、しかもブラックを好む。自販機で買うときも、無糖のものがなければ飲むのを断念するほどだ。
ただ、酒は、飲んでいた。たぶん、普通でない量を。
僕はその点を立花医師に指摘しようかと思ったが、黙っておいた。「原因」がよりはっきりしたところで、今さらそれがなんの役に立つというのか。
「そんなわけで、即刻入院が必要なんですよ」
立花医師は、しめくくりのようにきっぱりとそう言った。さっきから何度か使われている「入院」という言葉が、外国語のように聞こえる。入院なんて、むこう二十年くらいは自分とは無縁ななにかだと思っていた。急に言われても、頭の中でリアルにシミュレーションできない。
「あの……入院って、どれくらい?」
「糖尿病での入院は通常、"教育入院"と言って、二週間のプログラムが組まれるんですが、片瀬さんの場合は、その前にプラス二週間ですね」
「え……そりゃまた、どうして?」
「今現在、かなり症状が重いので、まずは最初の二週間ほど、血糖値を下げることに専念していただいた方がいいと思うんですよ。で、数値が落ち着いてきたあたりで、通常の教育入院につなげる形になると」
「そ、そうなんですか……。そうすると、一ヶ月……ですか」
僕が勤めている会社は、新宿歌舞伎町にある。と言うと多くの人に業種を誤解されるのだが、一応、まっとうなマーケティングリサーチの会社だ。そしてそのオフィスは、何を隠そう、この都立新宿病院のすぐ隣りのビルに入っている。もともと、もし通院することになった場合通いやすいようにと、わざわざ会社から至近のこの病院を選んで検査を受けに来たわけだ。
通院ならそれでいい。でも「入院」じゃ、会社にどれだけ近くても意味がない。
「当然、その間、仕事も休まなくちゃいけないんですよね」
「ま、そういうことになりますね。ただ、場合によっては……」
立花医師は言った。
「片瀬さん、お勤め先はどちら?」
「……隣りです」
「え? 隣り? 隣りのサルビアビル?」
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