
「承知つかまつりました。片瀬さんの“飲み納め”、お供させていただきます。今日は死ぬ気で飲んでください。骨は拾ってさしあげます」
金曜日の午後、そのおよそメールらしくない文体で書かれたメールを読んで、僕はひそかにニヤリとした。差出人は営業三課の東野亜梨沙。今年で入社二年目の女の子だ。
分析一課の僕とは仕事内容もフロアも違うし、担当クライアントが重なったこともないので、仕事上での接点はほとんどない。親しくなったきっかけは、会社の創立二十周年記念パーティーの席上だ。あるテーブルで、ビールのグラスを次から次へと空けては注ぎ足している小柄な女の子がいる。そのあまりに豪快な飲みっぷりに思わず目をみはっていると、彼女は僕に気づいて声をかけてきた。
「あ、もしかして、酒豪で有名な片瀬さんじゃないですか? 前々から一度ぜひご相伴いたしたく存じつかまつっておりました!」
用法として正しいのかどうかも怪しい、妙に古風な言い回しを好んで使う変な女の子だが、ショートヘアがよく似合う童顔で、そのくせウワバミ、というミスマッチ加減がやたらと印象的だった。僕はすっかり彼女と意気投合し、その場の勢いで勝手に二人で開催した「二次会」になだれ込み、終電まで飲みつづけたあげく、「(飲み)兄弟」の契りを交わしたのだった。
歳は九つも離れているが、なまじっかの同年輩の連中よりむしろウマが合うので、社内の貴重な飲み友達として僕は重宝していた。おたがいにちょくちょく声をかけあっては、浴びるほど酒を飲みまくるのだ。
どっちみち、何もなければそろそろ亜梨沙に声をかけたい頃合いだった。糖尿と発覚してしまったからにはそんなバカ飲みなどもってのほかだが、宣告を受けたことでかえって僕の肝は据わっていた。
これを飲み納めにしよう。これを最後に、酒を断つ。酒といつもセットになってしまう暴食ももちろん断つ。そのかわり、この日だけは後先のことをいっさい考えず、飲みたいだけ飲み、食いたいだけ食おう。なにかそういう明瞭な「区切り」を設けなければ、これからどれだけ長く続くことになるかもわからない「闘病」生活を、とても乗り切れなさそうな気がしたのだ。
糖尿病と診断された事実自体について、亜梨沙はそれほど驚かなかった。だいぶ前から、「糖尿かもしれない」ということを僕自らネタにしてくりかえし言って聞かせていたからだ。そして、暴飲暴食を断念するためにこそ暴飲暴食したいという僕の思いにも、「心中、お察しいたします」とあっさり同調してくれた。
こういうとき、後先を考えない亜梨沙のノリのよさは、本当にありがたい。
奈津が旅行中だったのが不幸中の幸いだ。いれば、飲みに行くなんて絶対に許してくれなかっただろう。もちろん、それが僕を心配してのことだということはよくわかっている。
でも今の僕には、区切りをつけるための「最後の飲み」につきあってくれる心強い相棒が必要なのだ。
「今日はどうします? なにしろ“飲み納め”ですから、私はなんでもつきあいますよ。どうぞ、片瀬さんが一番行きたいところを正直に!」
終業後、ビルの地下ロビーで合流した時点で、亜梨沙がそう言った。
「どうしようか僕もかなり迷ったんだけど……やっぱ、“ブルータス”かな」
「“ブルータス”ですかぁ……」
亜梨沙が、少しだけ気後れしたように笑った。
「うん、あそこで飲んで踊って自分を麻痺させてアホになりたい」
亜梨沙はすぐに、意を決したように「オッケーです、行きましょう」とうなずき、ビルの出口に向かって階段を昇りはじめた。
“ブルータス”というのは、新宿東口方面にあるライブハウスだ。いや、「ライブハウス」と銘打っているが、実際には「ライブ演奏つき」のレストランバーと言った方が近い。ただ、この店にはある「特徴」がある。「踊れる」店なのだ。それも、四十代・五十代のオッサンやオバサンが。
特に金曜・土曜の夜はすごい。ザ・ストレーツという看板バンドが必ず出演して何ステージかやってくれるのだが、演奏する曲目はスティービー・ワンダー、アース・ウインド&ファイヤー、アバ、ドゥービー・ブラザースなどの七十年代サウンドが目白押し、ブラス・セクションも完備して、往年の「ディスコ・シーン」を再現することに徹している。オリジナルは決してやらない。そこが彼らの偉大なところだ。自分たちの役割や位置づけを、よく理解しているのだ。
客層は、三十三歳の僕でも若い方に属する。多数派は、会社ではきっと課長や部長くらいには昇進しているであろう年代の人々だ。その彼らが、奥さんあるいは不倫相手らしき女性を連れて、場合によっては一人きりで店を訪れ、ひとしきり踊り狂って帰っていく。彼らが求めているのは、見知らぬバンドの聞いたことのない曲などではない。過ぎ去ってしまった青春を人目も憚らず懐古できる空間と、それを違和感なく引き出す舞台設定なのだ。
パンパンに膨らんだスーツ姿を揺らしながら、「ソウル・マン」に合わせて跳びはねているオッサンのありさまを初めて見たときには、正直、アホじゃないかと思った。しかしそれはこちらがシラフであった間の話で、次第に酔いが回り、フロアに出て踊る連中が増えてくるにつれて、いわば形勢が逆転する。この場にいて、踊らずに見ている方が非常識なような気がしてくるのだ。
そしてひとたび踊りの輪の中に入ってしまうと、世間体を考慮するような上品な神経は軽く十本くらい切断され、自分の中のいろいろなものが麻痺してくる。しまいには、見知らぬ客たちとおしくらまんじゅう状態で一体になってジャンプしながら、「ワーイ・エム・シー・エイ!」と振りつけつきで「ヤングマン」(これだけはなぜかヴィレッジ・ピープルではなくて西城秀樹の日本語版)を絶叫している始末だ。その状況の中、トレーにたくさんのグラスを乗せたまま、踊り狂う観客たちの間を縫うようにして器用にすり抜けていく従業員たちが、熟練の曲芸師みたいに見える。
ただ、この店に何度か行ってみて、経験的にわかったことがある。連れがどういうタイプかというのが、思いのほか重要なのだ。一緒にアホになってくれる人でなければいけない。うっかり、最後まで醒めた目で観察しているようなタイプの女の子を連れて行ってしまうと、照れくさくて踊れないばかりか、周囲に展開している異様なスパークぶりに「引いて」いるその心境が伝染して、自分もいたたまれなくなってくる。
その意味で、亜梨沙は“ブルータス”にうってつけの「連れ」だった。何より、アルコール耐性が強いのが利点だ。一定以上酔っぱらえないと、アホにはなれない。亜梨沙とはだいたい同じペースで飲み、酔うペースも足並みが揃っているから、一緒にアホになれる。「飲み納め」の相棒は、その意味でも、亜梨沙でなければいけなかった。これが「最後」になるなら、思い切り花火を打ち上げて派手に散らしたい。自分を麻痺させて、せめていっときだけでもすべてを忘れたい。
そんなわけで、僕たちは一路、新宿駅前を目指した。
エレベーターで八階まで昇り、“ブルータス”の入口に到着した時点で、六時ちょうどだった。気合いが入りすぎていたようで、まだ店員が店を開ける準備をしているところだった。だいたい、開店と同時に席に陣取るような客は、この店にはいない。最初のステージは七時半くらいからだし、ある程度席が埋まってみんなが酔っぱらってこないと、あえてこの店を選ぶ意味もあまりないのだ。
しかしおかげで、僕たちはしばらく、ゆっくりとおしゃべりすることができた。八時台以降のこの店では、ほぼ、まともな会話というものが成立しない。
「それにしても、やっぱり……って感じですよね。片瀬さん、ここんとこヤバかったですもんね、飲んでるとき」
亜梨沙が生ビールのジョッキを傾けながら言った。
「そうなんだよね、気がつくと突っ伏して熟睡してたりね」
そう言いながら僕は、口に含んだビールを惜しむようにしばらくなじませてから飲み込んだ。
酒に酔うと眠ってしまう人、というのがいる。僕自身、ひどく疲れているときなどは、以前からそういうことがあった。ただ、それはあくまで、大勢で飲んでいるときの話だ。十人、二十人いればなんとなく会話の輪から外れてしまう瞬間もあるし、その中で一人くらい眠っていても誰も気にしない。それが、ここのところ、三、四人という小人数で飲んでいても頻繁に起こるようになっていた。
一度、亜梨沙と二人で飲んでいるときでさえそれをやってしまったことがあって、そのときはさすがに青ざめた。目の前にただ一人しかいない相手と話しながら、どうして眠ってしまうことができるのだろうか。
この記事のトラックバックURL:
http://trackback.nifty.com/cs/trackback/ebooks_trackback/1-003
このページの先頭にもどる