平山瑞穂
シュガーな俺



第3章:決意(1)

 次に意識が戻ったあの瞬間のことを、僕は生涯忘れることがないだろう。

 僕はどこか屋外の、石畳を敷きつめたようなところにじかに転がっていた。ダンゴ虫みたいに丸くなって。

 自分がどこにいるのか、なぜそこにいるのか、まったくわからない。完全な失見当識状態だ。はっきりと認識できるのは、ひどく肌寒くて、頭が割れるように痛いということだけ。体を起こしてまわりを見わたしても、ほとんど何も目に入ってこない。人けもなく静まり返っているが、真っ暗というわけでもない。少し先に、どこかの店のこうこうと輝く入口が見える。小料理屋のようにも見えるが、見慣れない感じだし、看板の字も読めない。

 どうしてこんなにものが見えづらいのだろうとしばらく考えてみて、メガネがなくなっていることに初めて気づいた。“ブルータス”を出るときのひと幕を思い出したのは、その直後だ。そうか、今はあれの続きか。そうするとここは……。

 立ち上がって二、三歩進み、体を三百六十度ぐるりと回転させてみて、ようやくわかった。地元駅前の小さな広場だ。僕が転がっていたのは「北口」の階段を降りきったあたりで、「見慣れない小料理屋」のように見えた灯りは、なんのことはない、よく使う駅前のセブンイレブンだった。腕時計を見ると、午前三時二十分。どうりで、ほかの店がことごとくシャッターを下ろしていたわけだ。

 駅前にいるということは、少なくとも終電には間に合ったらしい。そして終電で帰ればこの駅に着くのは一時過ぎくらいだから、二時間はここで正体もなく昏睡していた計算になる。マンションまで歩いて五分もかからないというのに、駅から出た時点で力尽きてしまったのだろう。夏なのがまだ幸いだった。真冬なら凍死か、よくて肺炎だっただろう。

 スーツについた土ぼこりを払い、マンションに向かって歩き出すと、その揺れが痛む頭に響いてきて吐き気を催す。体の節々が痛い。右足の膝には打ち身のような痛みも混ざっている。後頭部にはコブもできていて、なでるとひりひりする。たぶんどこかで転倒して、したたかに打ったのだろう。とにかく、一刻も早くベッドに潜り込みたかった。

 体のあちこちから僕を苛む痛みに顔をしかめ、うつむきがちになって片足を引きずりながら、僕は口の中で、あるフレーズを重々しく繰り返していた。

 夢じゃなかったんだ……。

 亜梨沙と思うさま飲んだくれ、踊り狂って自分を麻痺させることには成功したけれど、酔いが醒めてしまえばそんな多幸感は跡形もなく消え去ってしまう。一夜明けたら、「糖尿病なんて夢でした」なんてことになるんじゃないかと心のどこかで期待していたが、そんな虫のいい話があるはずもない。

 身も世もない思いで、僕は死に絶えたような商店街の間を突っ切っていった。孤独だった。四年前に結婚してから、これほどまでに孤独な気持ちになったのは初めてだったかもしれない。まるで、打ち捨てられた世界の中にたった一人取り残されたような気分だった。
 マンションのドアを開けると、朝から長時間一人で放置されていた飼い猫のみけ松が狂喜して駆け寄り、足元にまとわりついた。僕はほぼ空になっているみけ松のエサ皿に新しい缶詰の中身を盛ってやり、みけ松用トイレをチェックしてきれいにしてやると、洗顔する気力も出せないまま、スーツを脱ぎ散らかしてベッドに倒れ込んだ。

 祭りは終わった。

 とにかく、考えるのは明日からだ。僕はタオルケットを体に巻き込むような姿勢を取りながら、五分もしないうちにからみつくような眠りの中に引きずり込まれていった。

<前のページ

| |

次のページ>


この記事のトラックバックURL:
http://trackback.nifty.com/cs/trackback/ebooks_trackback/1-005

このページの先頭にもどる