
そうして僕は、入院初日を迎えた。
奈津はもともと時差ボケ調整のためこの日の午前まで休暇を取っていたので、それをつぶして付き添ってくれた。
都立新宿病院は、十八階建てのビルに入っている巨大な総合病院だ。うち、九階から十五階までは病棟に充てられている。一階総合受付での簡単な入院手続きの後、僕と奈津は十一階の内科病棟に案内された。担当看護師の大崎さんは、小柄だが頼りになりそうな肝っ玉母さんという雰囲気の人で、入院初体験の心細さはそれだけでもずいぶん緩和させられた。
「ここがデイルーム、テレビはこちらなら午後十時まで無料で観られます。給茶器もあそこにあります。冷蔵庫になにかを入れるときは自分の名前を書いて。トイレはあちら。浴室はこの通路を進んで右側にあります」
大崎さんが淀みなくフロア内の案内をするが、淀みがなさすぎて情報が頭に入ってこない。でもそれはたぶん、入院をするというのが、心のどこかで人ごとみたいに感じられているためでもあるのだろう。好むと好まざるとにかかわらず、これから一ヶ月は、ここに寝泊まりして、ここから会社に通わなければならないというのに。
割り当てられた五号室は四人部屋で、残り三つのベッドは先客で埋まっている。小さなロッカーと、キャスターつきのベッドサイドテーブル。専用のテレビも置かれているが、観るためにはプリペイドカードを購入しなければならないようだ。
「貴重品などはロッカーに入れて、必ず施錠してください。南京錠、下の売店で売ってますから。実際、盗難が多いんですよ。いろんな人が出入りしてますから」
そう言い残して、大崎さんは立ち去った。病棟内で盗難が多いというのは意外な気がしたが、実際、出入りのチェックはそれほど厳格にやっているわけでもないようだし、何と言っても一歩外に出ればそこは歌舞伎町、セキュリティはあくまで自己管理で、ということらしい。
奈津と一緒に、同室の人たちによろしくと挨拶して回っていたら、主治医である立花医師が巨体を揺らしながらやってきた。
「片瀬さん、ようこそいらっしゃいました」
冗談のつもりなのだろうか。やたらと陽性な人だ。おかげで、こっちの気は楽になる。営業慣れしている奈津が、すかさず満面の笑みで「お世話になります」と頭を下げる。
「今日から入院なわけですが、先日の採血・採尿の結果が出ましたので、今、いいですか?」
血糖値を調べるだけならその場の簡単な検査ですぐにわかるが、それ以外のいくつかの数値は、専門の検査機関にサンプルを送って、結果が戻ってくるのを待たねばならないのだ。目の前に示された感熱紙には、「WBC」とか「HCT」など、見慣れない指標がいくつも並んでいる。立花医師が、そのいくつかを指差しながら解説する。
「ほら、ここ見てください。ヘモグロビンA1cっていうのがあるでしょう? これが十三・八! これは恐ろしい数値ですよ。健康な方はこれが五・五以下なんです。どれっくらいすごい数値かおわかりですか?」
ヘモグロビンA1c。または「グリコヘモグロビン」というこの指標には、その後もいやというほどつきあわされることになる。これは「過去一、二ヶ月間の血糖の平均を示す値」とでもいったものだ。血糖値そのものは実はけっこう水物で、たまたま直前に食べたものが何だったか、量がどれくらいだったか、また食べてからどれくらい時間が経っているかといった諸条件によって、大きくブレてしまう。しかし、「平均値」となれば話は別だ。検査の前日・当日だけ節度を守った食生活をしたとしても、これを見れば必ずバレる。
春先から慢性的な高血糖状態にあった僕は、そのヘモグロビンA1cが信じがたいまでの高さに上ってしまっていたのだ。
「尿の方ですが、糖が出てますね。ケトン体も+2になってる。これが出るとかなりヤバいんですよ」
ケトン体というのは、栄養状態が極端に悪いときなどに尿中に出る物質だ。むしろ栄養過多な状態にあるはずの糖尿病患者からこれが出るのは一見意外なようだが、インスリンの出が悪いというのはつまり、血中に取り入れた糖がエネルギーとして利用されていない状態ということだ。言わば、どれだけ食べても「栄養」にならない。それを補おうとして、体内に備蓄された脂肪などを消費してしまうわけだ。
糖尿病が悪化すると逆に「痩せる」のは、まさにこのためだ。実際僕は、春先からの数ヶ月間で十キロ以上体重を減らし、駅の階段の昇り降りさえきつく感じるほど筋力も落ちていた。尻の肉もすっかりこそげて、映画館などで長時間座っているのがつらいほどだった。
「大丈夫です、今はガリガリに痩せてますが、入院中に血糖コントロールがよくなってくれば、また少しずつ肉がついてきますから」
立花医師は、僕を励ますようにそう言った。この人が言うと、信じていいのだろうな、と無条件に思えるから不思議だ。
「ただ、片瀬さんの“型”が何であるかは、まだわかってません。それは入院中の経過観察とか詳しい検査とかを経ないと判定できないんです。圧倒的に多いのは2型ですが、1型も突発的に発症する場合がありますからね、そのへんはまだ何とも言えません」
1型糖尿病と2型糖尿病については、すでに勉強済みだった。
日本では、いわゆる「糖尿病」と言われる人たちのうちの95%は「2型」で、これは簡単に言うと、不摂生な食生活などが原因で膵臓が疲弊したことから発症するものだ。完治はほぼ無理としても、食事療法や運動療法を続けることで膵臓をいたわってやれば、症状の改善は望める。また、この型は遺伝的要因が比較的大きいことも知られている。2型糖尿病の親を持つ人が必ず2型糖尿病にかかるわけではないが、かかりやすい因子は遺伝している可能性が高い。
一方、圧倒的少数派である1型は、かつて「インスリン依存型糖尿病」と呼ばれていたもので、遺伝との関係は確認されていない。ウイルスへの感染など偶発的な要因によって自己免疫反応が起こり、膵臓のランゲルハンス島にあるβ細胞と言われる細胞群が不可逆的に破壊されることによって発症する。これにかかると、もはや自力ではほとんどあるいはいっさいインスリンを分泌できなくなるため、常に、そして死ぬまで、それを外部から投与しつづけなければならない。いわゆるインスリン注射だ。
こちらの型は子供の頃に発症するケースが多いので、「若年型糖尿病」と呼ばれていた時期もある。ときどきインスリン注射を打っている子供がいるが、それはたいていの場合、1型糖尿病患者だろう。子供のくせにオヤジみたいな暴飲暴食をしていたのだろう、などと即座に決めつけるのは酷というものだ。その子が発症したのは、その子の責任ではないのだから。もっとも最近では、食生活の乱れによって、子供でも2型糖尿病にかかるケースが増えてきているという話だが。
僕の場合は、まだそのどちらとも言えないというのだ。わりと急激に発症したこと、もともと痩せ形であること、糖尿病患者が家系から出ていないことを考えあわせると、1型の可能性も否定できない。もしそうなら、今後一生、インスリンを打ちつづけなければならないわけだ。考えると気持ちが暗くなってくる。結果が出るまで考えるのはよそうと思った。
「じゃあ、頑張ってね。時間を作ってなるべく面会に来るようにするから」
十一時頃に、そう言って奈津は会社へと向かっていった。
一人になってしまうと、おそろしく所在がない。初日である今日は一日休暇を取っているので、いやでもこのまま病室で過ごすしかないわけだ。同室の人たちはおたがいに無関心で、世間話をするでもないようだし、とりあえず家から大量に持ち込んだ本でも読もうとしたところに、大崎さんから声がかかった。
「片瀬さん、血糖測定とインスリン注射をしますので、手をきれいに洗ってからこっちへ来ていただけますか?」
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