
糖尿病患者がなぜ野菜をたくさん食べる必要があるかと言うと、もちろん、ビタミン・ミネラルなど、含まれる栄養素が体にいいということもあるのだが、それ以上に、食物繊維がポイントなのだ。食物繊維を大量に摂れば、それが他の食材をくるみこみ、消化をゆるやかにしてくれる。その結果、血糖値の急激な上昇を防ぐことにつながるわけだ。だから、食物繊維の塊でカロリーはほとんどないコンニャクや海草・きのこなども表6に分類され、たくさん食べることが奨励されている。
また、一般に野菜は水分を多く含むので、たくさん食べれば満腹感が訪れ、カロリーの高いものをむやみに腹に詰め込まずに済むという利点もある。だから、食事のときはなるべく、先に野菜をモリモリ食べるのがいいとされている。
たいていはトマト・キュウリ・レタス・セロリなどの生野菜や、前の晩に茹でておいたブロッコリやアスパラガスなどでサラダにするが、ドレッシングやマヨネーズは表5つまり油脂に当たり、ここで割り当てをたくさん使ってしまうとほかの料理に油を使いづらくなる。余裕があれば、前の晩に野菜スープを作っておくといい。キャベツやタマネギ、ニンジンなどを効率的に摂れる。
朝はだいたいそんな感じだ。毎朝同じでは飽きるので、たまにピザトーストにしてみたり(その場合は、パンに載せるチーズ一枚が表3一単位に当たる)、パンの代わりにシリアルにしてみたり、たまには和食にしてみたりもするが、だいたいのパターンを決めておいた方が、いちいち考えなくていいから楽でいい。
ただ、夕食もそれと同じ要領でやるわけにはいかない。毎度同じではすぐに飽きてしまうし、奈津にも同じものを出すことを思うと、なるべくバリエーション豊かにしたいというのが人情というものだ。まず第一には自分の膵臓機能の維持が目的であるわけだが、「自分の料理を食べてくれる人がいる」という面が、否応なくモチベーションを高めてくれる。
最初に買った『糖尿病の食事』だけでは、もうまかないきれない。僕は奈津が買いためていた料理の本を片っ端から読みあさって研究にいそしんだ。もちろん、そうした本に載っているレシピは一般向けに書かれているものだから、そのとおりに作ってしまうとカロリー量が適正でなかったりする。そのあたりは、『食品交換表』と照らし合わせて適宜、食材の使用量を調整しながら作るわけだ。
料理というのは、やりはじめてみると楽しい。それに、経験を積めば積むほど、初めて作る料理であっても臆しなくなる。料理とは畢竟(ひっきょう)、ユニットの組み合わせに過ぎないのだ。「切る」「皮を剥く」「刻む」とか、「焼く」「煮る」「炒める」「蒸す」といった個々の工程を、どんな食材を使ってどのように組み合わせていくのか。すべてはその変奏と言っていい。
味つけだって、そう凝ったものでなければパターンはだいたい決まっている。和食なら「だし・しょうゆ・酒・みりん」が基本で、そのあたりを使って調味すれば、そう間違ったものにはならない。
要領もだんだん自然に身についてくる。『糖尿病の食事』を片手に初めて自分で糖尿病食を作ってみたときみたいに、段取りを間違えて膨大な時間がかかってしまうようなことも、もはやない。
まずは米をといで炊飯ジャーにセットし、先にみそ汁を作っておいてから、副菜・主菜の順に調理していく。ゴボウやネギなど水にさらす必要があるもの、塩・コショウを振ったりタレに漬けたりして下味をなじませておく必要があるものなどは前倒しで済ませておく。煮物なら、煮ている間に食卓の準備をしたり、買ってきた惣菜を器に盛りつけたりできる。焼き物や炒め物は材料の仕込みだけやっておいて、火を通すのは必ず最後。その間にとろ火でみそ汁を温め直しておく。
こうして僕は、だいたい四十分程度で夕食を用意できるようになった。料理のレパートリーも、短い間に飛躍的に増えた。「野菜をたくさん摂る」ということを常に意識しているため、そういう料理が多い。ピーマンの肉詰め、金平ゴボウ、さやいんげんのおかか煮、きのこのおろし煮、いりどり、イカ大根、白菜と大根のわさびあえ、サバと白菜の中華風煮、タラのホイル蒸し、ししとうとじゃこの炒め物、揚げナスのめんたい風味、豚肉のいんげん巻き煮、大根と貝柱のあえもの……。
最初の頃は、まだ食事担当が原則として奈津ということになっていたこともあって、まず帰宅してから初めて献立を考え、冷蔵庫の中の食材の在庫を確認し、不足しているものを書き出して隣りのスーパーに買い物に行っていたのだが、それだと取りかかりにひどく時間がかかる。担当が正式に自分になってからはすぐにやり方を改め、前の晩に翌日の夜の献立まで考えてしまうようになった。そしてその晩のうちに冷蔵庫をチェックし、買い物メモを作っておくのだ。翌朝、それを胸ポケットに入れて出勤すれば、帰りがけにスーパーに寄って必要なものを買うことができる。
ただ、帰宅してからしばらくの間、息つく暇もないという点に変わりはなかった。買ってきたものを冷蔵庫に入れ、みけ松のトイレをきれいにしてエサ皿に新しく缶詰を盛ってやるところから始まり、まずはシンクをきれいにしなければならない。朝は奈津も洗い物までしていく余裕がないので、朝食に使った食器がそのまま積んであるだけだ。シンクがその状態だと機動力が鈍り、料理にもよけいな時間がかかってしまうので、先にそれを片づける必要がある。ついでに昼間会社で空にした弁当箱も洗い、それからやっと料理に取りかかる。ほとんど残業がない身とは言え、食卓に料理が並ぶのはたいてい八時から八時半だ。
もっとも、その時間に奈津が同じ食卓に着くことはほとんどない。奈津の帰宅は、早くて八時半、たいていは十時前後だ。取引先の接待などが入ると、午前様になることもままある。だから、あえて奈津の帰りは待たなかった。食事療法の観点から言って、毎日なるべく規則正しく、つまり、なるべく決まった時間帯に食事を取ることが理想だからだ。
奈津は、本当に忙しかった。僕の食事療法に協力したい気持ちは十分にあっても、できることは物理的に限られていた。弁当も、週に一、二回、はなはだしい場合は四回くらい、どうにも作る余裕がないときがある。ただ、弁当というのは、材料さえあれば詰めるだけでいいわけだ。あとは、前の晩の残り物だろうが何だろうが、カロリーの面で辻褄(つじつま)が合っていればいい。
僕も彼女の便宜を考え、弁当に流用できるように、夕食のおかずをなるべく多めに作る癖がついた。一汁三菜を原則としている夕食も、毎晩全部作るのは荷が重いので、一品は買ってきた惣菜で済ませるようになっていたが、その惣菜もときどき必要以上に買い足して、弁当に使えるよう気を配ったりした。それでも、弁当を用意できないときがある。
無理もない。連日のように取引先の接待が入って帰宅が午前一時、翌朝はまた九時までに会社に行かなければならないというときに、弁当のおかずを作ったり、朝早めに起きてそれを弁当箱に詰めたりすることがどうしてできるだろうか。ときには、急遽(きゅうきょ)僕が自分でありあわせのものを大急ぎで詰めて用意しなければならないこともある。
「ごめんね、昨日も今日もお弁当作ってあげられなくて。でも、たまには外食とかコンビニのお弁当とかでいいんじゃないの?」
奈津はそう言う。でも僕は、あくまで弁当を持参することに固執した。
たぶん、半分は強迫観念みたいなものだったのだろう。「たまにはいいだろう」と自分に逸脱を許してしまったが最後、指示カロリーを守ろうとする意志がなしくずしに崩れていってしまうのではないか。そして次回の採血で、数値が急激に悪化でもしていようものなら……。
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