平山瑞穂
シュガーな俺



第11章:担当替え(2)

 それでも幾度か、どうにも弁当を用意することができず、泣く泣く外食にしたことがある。

 店の選択が難しい。単に、出てきたものが見るからに多すぎるようだというだけなら、自主的にいくらか残せば事足りる。毎日食材の重さを計って料理を作ることを繰り返していれば、たとえば豚肉ならこれでだいたい何グラムかというのが、見ただけでわかるようになる。なにしろ僕はすでに、鶏モモ肉のブロックから、目分量で正確に六十グラム(一単位分)だけ切り出すことができるほどの実力が身についていたからだ。外食における真の問題はむしろ、野菜を摂るのが難しい、という点だ。

 迷ったあげく僕は、入院前から昼休みに好んで通っていた台湾料理の店を選んだ。中華系というと一見、油っこくて糖尿病には悪そうな印象があるが、意外に野菜をたくさん使った料理が多いのだ。それにその店は、昼時にはおかわり自由のサラダバーがあり、生野菜をいくらでも食べられる。「サラダバー」と言っても、雑に切ったレタスやトマトなどが山のように盛られたかたわらに、特大サイズのマヨネーズの容器がひとつ置いてあるきりのワイルドな代物なのだが。

 僕は肉野菜炒めの定食を頼み、生野菜をたくさん盛って席に着いた。これで百グラムのノルマは軽く達成できるだろう。ただし、マヨネーズはカロリーが高いので、皿の縁に申し訳程度に取っただけだ 。 親指の先くらいしかないそれを、大事にうまく配分して使っていかなければならない。
 
 まもなく隣りのテーブルに、僕と同世代のサラリーマン三人連れが着いた。彼らはめいめい、麺とチャーハンがセットになった定食を注文したかと思うと、ぞろぞろとサラダバーに向かっていく。ほう、注文したものは超高カロリーながら、一応、野菜も摂らなければという意識は持っているものと見える。そう思って感心しかけたのも束の間、僕は戻ってきた彼らが手にしているものを見て、ほとんど慄然として目をみはった。

 山盛りの野菜……いや、マヨネーズだ。山盛りのマヨネーズ。マヨネーズで表面が覆いつくされていて、下にあるはずのレタスの緑がまったく見えない。三人とも、揃いも揃ってその状態の「サラダ」を手にしている。サラダというのはそのようにして食べるものなのだというのが周知の常識ででもあるかのように。席に着くと彼らはすぐに、ものも言わずにがつがつとそれを口に運びはじめた。

 こんなのは「野菜を食べている」とは言わない。「野菜に載ったマヨネーズを食べている」のだ。見ているだけで胸が悪くなる。

 やがてテーブルに麺料理とチャーハンのセットが届き、彼らはそれも見る間にたいらげてゆく。しかも驚いたことに、一人、二人と席を立ったかと思うと、生野菜のおかわりまでしている。いや、「山盛りマヨネーズのおかわり」と言うべきか。

 あのマヨネーズだけで、僕が一日に摂取していい表5(油脂)の軽く三倍、カロリー量でいえば三百キロカロリー近くに達しているのではないか。カロリーなどまったく意識せずに食べたいだけ食べていた入院前の僕でさえ、あれはやらなかった。
 
 そんな油のカタマリを、なんらためらいもなくせっせと口の中に押し込んでいる彼らを眺めているうちに、僕はだんだん、無性に腹立たしくなってきた。

 あいつらが健康体で、どうして僕が糖尿病なのか。あんな気持ちの悪い食い方をするやつらが、どうしてなんら食事の制限を受けることもなくのうのうと暮らしているのか。
 
 いや、今は彼らも大手を振るって好き放題に食っているが、あの食生活が彼らにとっての日常なのだとしたら、遅かれ早かれ、臓器がどうもならないはずがない。自覚症状がなくてたまたままだ発覚していないだけで、もしかしたらすでに膵臓か肝臓か腎臓のどれかが、あるいはすべてがやられているかもしれない。いっそそうであってほしい、と僕は思った。そうでなければ、割に合わない。あんなやつら、臓器がボロボロになってしまえばいいのだ。今に見ているがいい。報いは必ず訪れる。

 僕は口の中でひそかにそんな呪いの言葉を呟きながら、その台湾料理店を後にした。

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