
「なぜ」と問う僕に対して星野医師が答えたのは「さあ……」のひとことだけで、後はただ険しい顔つきで黙って画面を眺めているだけだ。それでもプロか! と思ったのは、後になってからの話だ。このときは、僕の方にも突っ込む心のゆとりがなかった。
「とにかく、これだけ悪いと即刻入院していただかないと……」
「入院? いや、ちょっとそれは勘弁してください!」
僕は泡を食って、思わず言下(げんか)に突っぱねた。もうひととおり片がついたはずの話なのに、再度会社にそんなことを申し出るのはあまりに気がひける。それに、今度は病院もオフィスの隣というわけではないから、病室から出勤するのは事実上不可能だろう。
「そう言われましても……。血糖値がこんなに高いと、インスリン治療に切り替えなければなりませんし……」
「インスリン注射なら前の入院中にさんざんやりましたから、要領はわかってますよ、それに……」
それに、糖尿病患者に入院が必要なのは、主として栄養指導をはじめとする「教育」の機会を設けることが目的なのではなかったか。その「教育」なら、すでに受けている。しかも、免許皆伝並みの優秀な成績だった。「再教育」の必要など認められない。
本当はそう言いたいところだったが、その「教育」の成果として実行していた食事療法がどうやらまるで効いていないらしい、という現状が一方にある。せいぜい、こう言い返すのが精いっぱいだった。
「とにかく、自己管理はちゃんとできると思いますから、入院というのは容赦していただけませんか?」
星野医師は、あいかわらず動揺を隠せないような心もとない表情のまま、不承不承という感じで入院の件を取り下げ、インスリンの処方箋だけ書いてくれた。今まで飲んでいた経口血糖降下薬は服用を中止し、とりあえず朝・昼・晩の食事前に六単位ずつの注射で様子を見てみるという。
「ただ、いずれにしても血糖値が高すぎます。精密検査のために、この後、帰りがけにもう一度採血をしていってください。次回までには結果が出ていますから」
「次回」というのは、二週間後のことだった。先々まで予約が詰まっていて、それが精いっぱいというのだ。しかも、都立新宿病院を追われて長い漂流の果てにようやく辿り着いた陸地だというのに、この星野医師も、あと一ヶ月ほどで転勤になり、後任の予定が立っていないという。どうなってるんだ、都立病院! と叫びたい気持ちを抑えて、とにかく二週間後の再診を待つことにした。
二度目の採血の後、血糖測定用の貸出用キットを手渡された。かつて新宿病院での入院中、土日ごとに一時帰宅する際に持たされたのと同じ、黒いポーチだ。中には、もう二度と見ないで済むと思っていた血糖測定器と、指に穴を空ける穿孔器、それに使い捨ての電極が入っている。注射器使い捨て針のセットは、薬局でもらわなければならない。
病院を出て、道を挟んで正面にある薬局に向かいながら、軽いめまいを感じた。二度も血を抜れたこととは、あまり関係がなさそうだった。
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