平山瑞穂
シュガーな俺



第16章:第二の宣告(1)

 こうして僕には再び、毎食前にインスリンを打つ生活が戻ってきた。しかも今度は、病院の監督下ではない。すべて自己管理でやらなければならない。それ自体は、さして困難なことではなかった。外食は極力避けていたので、食事の準備が整う時間もだいたいは読める。仕事柄ほぼ内勤で、十二時に昼休みのチャイムが鳴れば時をおかず弁当箱の蓋を開けられるから、ほぼ正確に三十分前に注射を打つこともできる。

 ただ、そのタイミングである十一時半に、会議室に入っていることもある。スムーズに一時退室できるようにするために、事情はある程度上司に話しておかなければならないと思った。

 「いったんはだいぶ改善されてたんですが、最近なぜか、再び悪化してしまいまして……」

 それを言うのは、ひどく口惜しいことだった。この一年近くの間、僕がどれだけの犠牲を払ってまじめに食事療法に励んできたかなんて、この場で説明してもらちが開かない。でも簡潔に現状だけを述べれば、あたかも僕が実際には不摂生の誘惑に打ち克てなかったみたいな印象を与えるにちがいないのだ。

 「最近また、痩せたよな」

 課長は硬い表情のまま、ただそう言っただけだった。当然のことながら、彼もまた、僕の激烈な変化に気づいていたのだ。ただ、ほかの多くの人たちと同じように、それをあえて指摘していいものかどうかがわからなかったのだ。

 「とにかく、次の診察を待つしかないよ」

 奈津はそう言って判断を留保したまま、そのことについてなるべく考えまいとしているように見えた。実際、診断が下されるまでは、素人がああだこうだと考えをめぐらせてもしかたがない。ただ、数字は正直だ。そんな事情など考慮せず、過酷な現実を僕に突きつけてくる。
 
 処方されたとおりにインスリンを欠かさず打っていても、血糖値は一向に下がらなかった。さすがに五百を超えることはなかったものの、朝も昼も晩も三百を超えている。つまり、新宿病院に入院した時点とほぼ同じ水準なのだ 。 立花医師が、「かなり症状が重い」と言っていたその水準と。

 二週間先までそのままの状態で過ごすには忍びなく、僕は星野医師の処方を無視して、毎回一単位ずつ、投与量を増やしていった。

 もちろん僕だって、そんなことをするのは恐ろしかった。まだ数字が下がらない、まだ足りない、と注射器の目盛りをよりたくさん回せば回すほど、まるで麻薬中毒にでもかかってしまったかのような底知れぬ恐怖を感じた。入院中、一度に打つ量はせいぜい四単位か六単位だったのに、今や、どうにか許容できるレベルである百五十程度まで値を落とすためには、十二単位も打たなければならなかった。

 処方を守っていないことには身を刺すような罪悪感があったし、その結果なにか深刻な問題が発生したとしても何ひとつ言い訳できないという状況は、たとえようもなく心もとなかった。勝手に量を増やしてしまったことを、次の診察のときどう言いつくろえばいいのか。でも僕にはどうしても、異常に高い血糖値をみすみす放置しておくことができなかった。
 
 「その後、血糖値は安定してるの?」

 六月末、都立板橋病院での二回目の診察を翌日に控えた夜、奈津がそう訊ねてきた。行きがかり上、インスリンを独断で増量していたことを洩らすと、奈津は色をなして僕をなじりはじめた。

 「なんで勝手に量を変えちゃったの? 血糖値が高くて気にする気持ちはわかるけど、先生の処方は先生の処方でしょ? それを勝手に変えるなんて絶対によくないと思う」

 奈津がそう言うことはわかっていた。その手のことにとりわけ厳しいタイプだ。黙っていればよかったのだ。でも今さら、後へは引けない。

 「よくないったって……現に処方どおりの量じゃちっとも下がらなかったんだよ。三百だよ、三百超えたままなんだよ? そのまま次の診療までただバカみたいに処方守ってろって言うの? 三百超えてるって、どれだけひどい状態かわかってる?」

 「だったら、予約がなくても緊急ってことで先生に相談とかできなかったの?」

 「そのためにいちいち仕事休めって言うわけ? ただでさえしょっちゅう半休とか取ってるのに。だいたい、僕だって好きで処方無視してるわけじゃないんだよ!」

 例によって、もともとイライラしているから、すぐに喧嘩になる。奈津がそれほど不当なことを言っているわけではないこともわかっているのに、蓄積された苛立ちがそこにはけ口を見出し、抑えもきかず噴き出してしまうのだ。

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