
「だから私はただ、先生の処方を守らないのはどうかって言ってるだけでしょ!」
「でもさ、血糖測るたびに、ディスプレイに三百超える数が出るんだよ! その恐怖がわかる? それがどんなに怖いことか、奈津にわかる? 僕のことは僕自身が一番よくわかってるんだよ、わかってもいない人間にあれこれ指図されたくないよ!」
勢いに任せて言い放った後で、奈津の顔から血の気がさっと引くのがわかった。
まずい。本気で怒ったときの顔だ。あきらかに僕は言い過ぎた。でもこちらも怒りが引いていないので、とっさに発言を撤回することができない。奈津はしばらく、表情を凍りつかせたまま僕を睨みつけていたが、やがて目を逸らし、低い声でこれだけ言った。
「わかった。じゃあ、好きにすれば?」
奈津はほどなく、歯だけ磨いてベッドに直行してしまい、しばらくして僕が寝室に入ったときには、眠っているのかいないのか、目を閉じてひとことも口をきかなかった。
翌朝になっても、奈津の態度は硬いままだった。普段なら、大きな喧嘩をしても、一夜明ければケロリとしているか、それとなく和解に持ち込もうとしてくれるはずの奈津が、僕と目を合わせようとさえせず、せかせかと出勤のための身繕いをしている。
「あの、昨夜は、いろいろ言っちゃったけどさ……」
奈津のかたくなな物腰に、僕の方も今ひとつ素直になれないが、それでも精いっぱい歩み寄ってみる。
「とにかく、今日また診察だからさ。ちゃんと先生にいきさつ話して、どうするのが一番いいか、訊いてみるから。前回の精密検査の結果も出てるはずだし……」
「いいよ、もう」
ストッキングに脚を通している奈津の背中が、いつになくこわばっている。
「私と喬ちゃんは結局、他人なんだってことが、昨日よくわかったから。もう、何も言わないし、何を訊くつもりもないから」
僕はため息をついて奈津のベッドに座り込み、なにか言わなければ、と思った。しかし、僕が次に言う言葉を頭の中で組み立てている間に、奈津はバッグを引っつかんで出ていってしまった。ドア越しに、エレベーターホールを闊歩するヒールの音が響き、すぐに遠ざかって消えた。
腰かけたベッドに脱ぎ捨てられた奈津のパジャマを見て、一瞬、憎々しい気持ちになった。これはひょっとすると、思っていたより深刻な事態なのかもしれない。ぼんやりとそう考えてから、しばらくそのことを忘れていようと思った。僕もすぐに支度して出なければ、会社に間に合わなかった。今回の診察は午後なので、午前中は普通に出勤して仕事をすることになっていたのだ。
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