平山瑞穂
シュガーな俺



第16章:第二の宣告(2)

 診察室の星野医師は、前回同様、なにか自分の居場所をいまだに見つけられていないようなおぼつかない物腰で僕を迎えた。

「その後、血糖値の推移はいかがでしたでしょうか」

 言われるままに僕は、この二週間、朝昼晩毎回欠かさずつけていた血糖値の記録を提出しながら、おそるおそる、勝手にインスリンの量を増やしていたことを包み隠さず打ち明けた。しかし、結果として僕の判断は適切だったということなのか、星野医師は別に僕を叱責するわけでもなかった。まずまずのコントロールになっているようなので、ひきつづきその量で注射を続けるように、という指示を下しただけだ。

 前回は患者の前であからさまに動揺していたことを思うと、この妙にあっさりした対応はいったい何なのだろう? 僕が首を傾げていると、彼女は早くも次回診療の日にちのことに話題を移している。

 ちょっと待て。前回あらためて採血したときの結果はどうなったんだ?

 「あの、精密検査の結果が今日わかるってお聞きしていたように思うんですが……」

 おずおずとそう切り出すと、彼女ははっとしたような顔になって、処方箋を書く手を止めた。

 「あ、そうだ」

 大丈夫かな、この先生?

 慌てて端末を操作してデータを引き出した星野医師は、そこに表示されているなんらかの数値に目をやるなり、眉をひそめた。もともと常にひそめているように見える眉をさらに寄せて。

 「あー……」

 息が漏れるような声でそう言ったきり、黙っている。

 それはまるで、自分が買っていた株が暴落した瞬間を目の当たりにした人間のようなふるまいだった。
 
 どう考えても、この人は臨床医としての適性が欠けていると思う。患者をいたずらに不安に駆らせてどうしようというのか。

 「あの、なにか……?」

 「1型に、遷移しちゃってますねぇ……」

 「えっ?」

 「GAD抗体が陽性反応示してるんですよ。……1型です」

 しばし、絶句した。

 1型って、あの1型のことか? 生涯インスリン注射が必要だという、あの1型?

 どういうことなんだ? 僕は2型糖尿病ではなかったのか。そして、主に不摂生が原因で発症する2型と、ウィルス感染など突発的な要因から自己免疫反応で発症すると言われる1型とは、スタート地点からして違っていて、交叉性はないのではなかったか。

 「そ……そんなことあるんですか? 途中で変わっちゃうなんてことが?」

 「まあ……なくはないですね」

 「なぜなんでしょうか……」

 「さあ……理由はよくわかりませんが……」

 まただ。また動揺して、説明がしどろもどろになっている。

 いや、それよりも、問題は自分は「1型に遷移」してしまったということだ。1型……膵臓でインスリンを分泌する「ランゲルハンス島」と言われる部位のβ細胞という細胞群が不可逆的に死滅して、もはや自力ではほとんどあるいはいっさいインスリンを作り出せなくなる症状。一生涯にわたって、外部からインスリンを投与しつづけなければならなくなる病気。

 僕が知っている「1型糖尿病」とは、そのような病気だ。

 この期に及んでそれはないだろ?
 
 だいたい、2型が途中で1型になるなんて話は、聞いたことがない。1型は必ずインスリンが必要で、2型はよっぽど症状が重くなければインスリンは不要、と言うと、まるで症状の軽重によって型が分けられているかのようだが、それは違う。2型が悪化した結果1型に変わるというわけではないし、逆に1型の患者がせっせと治療に励めば2型に戻るというものでもない。その二つは、症状が似ているだけで、言ってみれば別の病気なのだ。少なくとも、僕はそういう認識を持っていた。

 この女先生、最初からどこか頼りなげだったが、本当に正しい診断を下しているのだろうか? 一瞬そんな疑いを胸に抱いた僕も、少し考えてみて、彼女の判定を否定できないことに気づいた。

 「1型になった」と考えれば、すべて辻褄が合うのだ。自力でインスリンを作り出す膵臓の機能が「弱って」いるだけなのではなく、その機能自体が消滅してしまっていたのだとしたら? 弱った膵臓なら、食事療法でいたわってやったり、薬でインスリンの分泌を促してやったりすれば、再びインスリンを出すようになる。でももしその膵臓が、そもそも死んでしまっていたのだとしたら?

 いくらまじめにカロリー制限をしたって、欠かさずに薬を飲んだって、効き目なんか出るわけがないではないか。そして体内にいっさいインスリンが存在しなければ、血糖値がひたすら上昇していくだけなのも当然ではないか。

 結局星野医師は、あまりの結果に茫然自失している僕に励ましの言葉ひとつかけることもなく、ただインスリンの処方箋を書いてくれただけだった。

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