平山瑞穂
シュガーな俺



第17章:天国と地獄(1)

 新世紀フィクション大賞? 応募? 最終選考? いったい何の話だろう。そんな賞に応募した覚えはない。いやそもそも、ここ二、三年の間、なにかの賞に応募したことはなかったはずだ。人違いじゃないのか。しかし、『イジリ写真館』は、まぎれもなく僕が書いた小説だ。

 「……選考会は七月二十八日の午後四時くらいからを予定しております。毎回、だいたい午後六時前後には結果が出てます。受賞されたか否かにかかわらず、片瀬さんをはじめ最終選考に残った方には……」

 「あの、すみません、ちょっと待ってください。ちょっと……お待ちいただけますか?」

 淀みなく続くナガクラ氏の説明に、かろうじて割って入る。

 「えーと、あの……すみませんが、実は状況が今ひとつ把握できなくてですね、その、もう一度言っていただけますか? そちらは、あの、出版社の興栄社さん、ですよね? で、『新世紀フィクション大賞』? それの最終予選に私の小説が? ええとですね、そこがわからないんですが……」

 はたでそれを聞いていた亜梨沙が急に目を見開いて、その場でぴょんぴょんと体を跳ね上がらせはじめた。

 「それ私、それ私!」

 そう言いながら、自分の鼻先を指さしている。いったんレシーバーを手で覆って、「なに?」と亜梨沙に訊ねると、宣誓をするみたいに手のひらをまっすぐにこちらに向けた。

 「前に片瀬さんからお預かりした原稿、私が片瀬さんの名前と住所書いて、それに応募いたしました!」

 僕は唖然として、完全に固まってしまった。

 言われてみればたしかに、『イジリ写真館』の原稿を、亜梨沙に渡した記憶はある。まさに前回、“飲み納め”のつもりでこの“ブルータス”に来たときのことだ。でも、亜梨沙の反応があっさりしていて期待薄だと思ったので、その後そんなことはまったく忘れていた。

 それを亜梨沙が勝手に応募?

 携帯からは、「もしもし? 片瀬さん? もしもし?」というナガクラ氏の声が漏れている。僕はあまりの不意打ちに言葉を失いながらも、どうにか事態を把握して電話口に出直した。

 「し、失礼しました。あの、はい、それで、最終選考に残ったんですね? あの、ありがとうございます!」

 「はい、大丈夫ですか? それでですね……」

 あらためて聞いたナガクラ氏の話を総合すると、こういうことだ。

 「第三回・新世紀フィクション大賞」への応募作品総数四百七十三点の中で、最終選考に残ったのは僕の作品を含めた四作。その原稿がこれから、人気作家・櫛田秀一をはじめとする五人の選考委員の手元にわたり、約一ヶ月後の七月二十八日に選考会が催されて、その場で「大賞」と「優秀賞」が選ばれる。結果が出次第、受賞したかどうかにかかわらず、最終選考に残った四名には連絡が行く、という。

 「……ということで、よろしいでしょうか?」

 「は、はい! ご連絡、お待ちしてれます。ど、どうぞよろくしくお願いてします!」

 まさに青天の霹靂。動揺と興奮のあまり、舌が回らなくなっていた。

 通話を終えると、全身から力が抜けて、その場にくずおれそうになった。酔いのためなのか何なのか、仰いだ天井がぐるぐると弧を描いている。夢じゃないかと思う。まさに、夢にまで見た状況なのだ。

 「やっぱりねー、私のお見立てに間違いはなかったかと! って、私も応募したこと忘れてたので、たいそう驚天動地いたしましたが。だって最終選考って、かなりすごくなくなくないですか?」

 亜梨沙も興奮気味なのか、いつになく変なしゃべり方をしながらガッツポーズを作っている。

 「いや、すごいよ、すごいけどね、それはいいんだけどね、でもなんで君が応募なんて……」
 
 「だって、おもしろいと思ったんですよ、あれ。普段本なんて読まない不肖の私でも、普通におもしろかったんです。でも片瀬さん 、 応募する気あらせられないみたいだから、もったいないかと」

 「だからと言って君は、勝手に応募したわけ? 僕に断りもなしに? 僕の意志も確認しないで? 君はいったいなんという……」

 「あっ、まずかったですか? 怒らないでくださいよう。ごめんなさ……」

 「いったいなんという、素晴らしいことをしでかしてくれたんだ!」

 僕は感極まって、亜梨沙を抱きしめた。亜梨沙が「ひゃっ」というくぐもった悲鳴を上げたその瞬間、ステージに戻ってきたザ・ストレーツが、名曲「セプテンバー」を演奏しはじめた。奇声を上げながら、待ってましたとばかりフロアに躍り出る観客たちに混ざって、僕たちも転げるようにシートから飛び出した。

 「ほんとに“お祝い”になったじゃござんせんか!」

 背の低い亜梨沙が、揺れ動く人垣の中に埋もれそうになりながら、満面の笑みでそう言った。

 たしかにそのとおりだ、これは“祝う”に値する事件だ。まだ受賞したわけじゃない。しかし、最終選考まで昇りつめただけでも、僕にとっては快挙中の快挙だ。五百近い応募作の中で、上澄みの四つの中に残ったのだ! 

 しかも「新世紀フィクション大賞」は、三年前、鳴り物入りで新設されたばかりの大型新人賞だ。大賞の賞金は五百万円、受賞作は映像化・コミック化なども含め大々的にバックアップされる。万年落選組の僕などどうせ歯牙にもかけてくれないだろうと思って、ここに応募することなどハナから考えてみたこともなかったというのに。

 十年越しの孤独で地道な努力が、今ついに実を結ぼうとしているのだ。それも、亜梨沙の思いもかけないスタンドプレーをきっかけに、まったく予期もしていなかったタイミングで。

 ミラーボールが放つ光の粒が壁や天井を駆けめぐる中、僕はこらえ切れずに声を立てて笑った。やった、ついにやった! でも同時に、いつのまにか、目に涙がにじんでいた。気がつくと僕は、激しく体を揺らして踊りながら、そして笑いながら、涙を流していた。あはは、ひぃひぃ、あはは、ひぃひぃと。

 ここに至るまでの長い道のりに思いを馳せて、感傷的になっていたのだろうか。いや、それよりはむしろ、正直な話、僕はどうしていいかわからなくなっていたのだ。「インスリン依存型」と呼ばれることもある1型糖尿病への「遷移」を知らされたその直後に、目が覚めるようなこの朗報。悲しんでいいのか喜んでいいのか、わからなかった。僕は言わば、獄卒の手で地の底に引きずり下ろされそうになると同時に、天使の手で天国に召されようとしていたわけだ。

 「片瀬さん、泣いておいでで? そりゃ……お泣きになりますよね、超嬉しゅうあらせられますよね! ああ、なんか、私までもらい泣きしそうでございます」

 亜梨沙はそう言って、かたわらで跳びはねながらも、無邪気に僕の肩をさすってくる。

 真っ二つに引き裂かれた僕は、ただうんうんとうなずきながら、なすすべもなく泣き笑いを続けていた。

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