
僕が直接恩恵にあやかれる範囲内でも、日進月歩の改善がなされている。たとえば血糖測定器。指先から絞り出した血液を吸わせた電極を差し込んで、三十秒待つ、というあれだ。もうで内科で支給されたものは、十五秒で測定結果が出る新しい型だった。すでに、七秒で測定できる機種も出回りはじめているという。三十秒の前は一分かかっていたそうだから、長足の進歩だ。
また、インスリン注射器の使い捨て針も、僕が患者になってから、知っている範囲でもすでに三回ほどモデルチェンジしている。針の先が、ナノテクノロジーの力でどんどん細くなっているのだ。痛点が少ない下腹部への注射はもともとそれほど痛くないが、繰り返し同じ箇所に針を刺していると、やはり皮膚が硬化してくる。たまに、なんの加減か、痛くてどうしても針を刺せず、痛くない場所を血眼になって探さなければならないような日もあるが、針が細くなればなるほど、その心配もいらなくなる。
いつか立花医師が言っていた、「それを発明した人は医療界のビル・ゲイツになれる」という「血を出さない血糖測定器」にかぎりなく近い器具も、実はすでに一部の国で実用化されていると聞く。もっとも、これはまだ不安定な部分が多く、信頼度はあまり高くないという話だが、時代がその方向に向かっていることは疑いのないところなのだ。
しかし僕は、たとえそうした改善が思うように進まなかったとしても、それほど不服には思わないだろう。なぜなら、今の人生が十分に楽しいからだ。
1型になってからの僕は、それほどがむしゃらなカロリーコントロールは実践していない。しかし、2型時代に学んだことのエッセンスは、今も僕の中で脈々と生きつづけている。
食に対する意識、適正な量の食材をバランスよく食べようといった意識は、発病前の僕にはほとんどなかった。もし発病しなかったら、僕はたぶん、一生それを体得することもなかっただろう 。 運よく成人病にはかからなかったとしても、醜くたるんだ腹を持てあまして汗だくでひいひい言いながら駅の階段を昇り降りするような、みっともないオッサンになり果てていたに違いない。
よく言われることだが、きちんとカロリーコントロールがなされた糖尿病食とは、それ自体、「健康食」でもある。万人に勧めたい素晴らしい食生活を、それは実現してくれるのだ。
患者である僕自身がそうであるように、時には逸脱があっていいと思う。飲み過ぎたり、食べ過ぎたりするのもまた人生だ。問題は、ベースをどこに置いているかなのだ。逸脱した後にはまた気を引きしめて、必ず、そして何度でも立ち返っていくところ。そこが「バランスのよい食生活」であるなら、きっとその人は、おおむね健康な余生を送れるはずだ。
料理の仕方を習得したことも、僕にとっては大きな財産となった。「健康食」とセットでそれを身につけられたのだから、なおのことそうだ。今では、和食・洋食・中華、煮物・焼物・揚物、たいていのことは一人でできる。これだって、言うなれば怪我の功名というやつではないのか? それに、料理を覚えていく過程自体が、後から思えば楽しかった。
ときどきふと、厳密なカロリーコントロールをしていた頃のことを思い出す。どうしても甘味のついた「ヨーグルトドリンク」が飲みたくなり、プレーンヨーグルトを牛乳で割って甘味料を入れて、朝食の一部(『食品交換表』における「表4」)として飲んだこと。暑い盛り、風呂上がりに清涼飲料水を飲むかわりに、甘味料を入れた炭酸水に少しだけカボスの果汁を落として飲んだこと。土日の昼下がり、ごくたまに「自分へのごほうび」と称して近所のカフェに行き、小さなスティックケーキを大事に食べながら、一杯のコーヒーを味わうのが楽しみだったこと。
そんないじましいことをしていた自分がいとおしくて、せつない気持ちになる。でも、あれはあれで楽しくなかったか? めったに食べられない甘い菓子を口にする喜び、欲しくても手に入らないものに少しでも似せて、なにかを自分で作り出すことの楽しさ。週のうちの六日間、親の仇みたいに血道を上げて食事療法に励んだ後で、たった一日だけ、飲酒することを自分に「許す」その瞬間の解放感。制約があるからこその楽しさというものが、あの頃にはたしかにあった。
その気持ちを、僕は大事にしたいと思うのだ。
今の僕は、奈津が作ってくれるバナナケーキやフルーツグラタンを、再び食べられるようになった。食べることを医師は推奨しないだろうが、自己判断で時には食べてしまっている。もうで内科にかかるようになって約五ヶ月、六週間に一度の診療でインスリンを処方してもらっているが、血糖コントロール状態は良好で、ヘモグロビンA1cは六・〇前後で推移、体重は身長から割り出した標準体重六十三キロに迫るまで回復している。とりあえず、憂慮すべき点は何もない。
奈津も今は、僕の体を襲ったこの現実を受け入れ、はじめからそうであったかのようにそれを「日常の一部」と見なしている。仕事がない土日に手料理を作りながら、「そろそろインスリン打っていいよー!」とキッチンから叫ぶのだ。
食事療法に関する自分への要求水準を低く設定しなおしたおかげで、僕自身にも心の余裕ができた。サラリーマンと作家という兼業生活に入り、以前よりかえって忙しくなったにもかかわらず、ちょっとしたことでイライラして奈津やみけ松に当たり散らすようなことは、もうない。片瀬家には再び、ほがらかで穏やかな日常が戻ってきた。
それでも、よきにつけあしきにつけ、生活形態に大きな修正を迫られたあの「2型時代」の日々の記憶が、僕の中で風化することは今後一生ないだろう。それはもはや、完全に僕の一部なのだ。糖尿病という病気自体が、すでに僕の一部として分かちがたく組み込まれてしまっているように。
そして時が過ぎれば過ぎるほど、僕の中では、ひとつの確信が明瞭な形を結びつつある。
あの日、1型への「遷移」を知らされたのと、「新世紀フィクション大賞」の最終選考に残ったという朗報がもたらされたのがほぼ同時だったことは、決して偶然ではないのだ、という確信だ。
天国と地獄。極端な朗報と極端な悪報。あれはきっと、神様がバランスを取ろうとしたのだろう。僕はそう考えている。
人生、悪いこともあればいいこともある。そう言うとあたりまえのようだが、僕を混乱のきわみに突き落としたあの日のできごとも、その「あたりまえのこと」の極端な例に過ぎなかったのではないか。いいことと悪いことのつづら折り、それが人生なのだ。だからこれからも、悪いことは起きるだろう。しかしその後に必ず、いいことがあるはずだ。
神様は、そうやってバランスを取っているのだ。そう思えるようになった僕には、もう本質的な意味で怖いものはない。
問題は、自分の人生の運と不運の総和が、プラスになっているかどうかなのだ。そして今のところ、総計はプラスになっていると思う。
そう、僕の人生は、十分に甘い。
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