
翌日、と言うよりもう「当日」だったが、目覚めたのは午後二時過ぎだった。十時間以上眠っているのに、まだ二日酔いが抜けていない。三十歳を過ぎたあたりから、深酒をした後は翌日の夕方くらいまでアルコールを引きずるようになった。それでも僕はのろのろとベッドから這い出して、まずはゆっくりと風呂に浸かって体から毒気を抜いた。
あまり食欲はなかったが、ありあわせのもので簡単に食事を済ませると、マンションを出て、近くの書店に直行した。食事療法についての本を探すためだ。
まずは血糖値を下げることを優先して、食事療法については入院の後半でみっちり教えます。立花医師はそう言っていたが、入院まではまだ何日もある。いったい、何をどうすればいいのか。何もわからないままでいるのはあまりに不安だった。それに、共働きであるわが家の場合、食事療法を妻に丸投げというわけには絶対にいかない。まして奈津は、一応食事係だとは言っても、これだけ多忙なら、現実問題として食事などほとんど作る余裕がないだろう。すべて自分でやるくらいの気構えで望むことが必要だ。
僕にとって、「勉強する」ということは、本質的に苦にならない。学生時代も好きだったし、今も折りに触れてなにかを「勉強する」ことがある。語学マニアでもあるので、フランス語や中国語などのテキストもちょくちょくめくっているが、最大のウェートを占めるのは、小説を書くための取材だ。物語に厚みを持たせたり、設定にリアリティを添えたりするためには、いろいろな分野の知識が必要になる。昆虫の生態がキーになっているミステリーを書くために、「昆虫生物学」とか「寄生バチと害虫管理」といった専門的な本まで買い込んで、一から勉強するという凝りようなのだ。
まして自分の体に関することなら、もっと熱心になれる。いや、この言い方は正確ではない。「体が大事」と本当に思っているのなら、そもそも前後不覚になるまで飲むことを繰り返したりはしない。むしろ、そうやっておもしろおかしく生きていくことに対する障壁が眼前に立ちはだかったとき、どうしたらその障壁を取り除くことができるか、その点についての研究は惜しまない、と言う方が実態に近い。
障壁が「病気」なのであれば、その病気についての知識や、その症状を改善させる方法についての知識を正しく、より多く会得することによって、活路を見出せるのではないか。亜梨沙に向かって、「酒が飲めるのも今日が最後かも」と言ってみた僕だったが、実のところは、まだ未練たらたらだった。酒を断つために思う存分飲むのだと宣言してみた僕だが、そんなことで「区切り」がつけられるはずもない。アルコールが頭に回っていく際のあの多幸感を二度と味わえないなんて、本心ではたぶんまったく信じていなかったと思う。
食の楽しみや酒の楽しみが奪われてしまった人生なんて、僕には考えられない。必ず、道を見つけ出してやる。そんな気持ちだった。
私鉄沿線のちっぽけな街なので、近所にたいした本屋もない。しかしどんな小さな本屋でも、生活習慣病に関する本の一冊や二冊は置いてあるものだ。はたして、ガーデニングや料理関係の本が並ぶ一角の片隅に、それはあった。「高脂血症の食事」と「腎臓病の食事」に挟まれる形で、『糖尿病の食事』。それに類するものはほかに見当たらない。ろくに内容を改めもしないうちに、僕は大急ぎでそれをレジに持っていった。
僕が近隣住民であることぐらいは知っているにちがいない、露口茂にちょっと似ている店主の前にそれを差し出す瞬間、なんだか無性に恥ずかしくなって、「僕じゃないんです、父が心配で……」とわれ知らず心の中で言い訳をしていた。
それから約一時間かけて、僕はソファの上でその本を熟読した。
選択の余地もなく買ったものにしては、なかなか詳しい。巻頭の解説で、糖尿病発症のメカニズムや食事療法の概念についてはあらかたのことがわかる。残りの大部分は、実際の食事療法に役立つ具体的な献立をレシピつきで紹介した、写真の多いページで占められている。
特に熱心に読んだのは、最初の解説ページだった。シラミつぶしに読んでいけば、どこかに希望を持たせてくれる一節が見つかるかもしれないと思ったからだ。
簡単に言うと、糖尿病とは、膵臓の機能障害である。「膵臓」なんてマイナーな臓器のことは普段ほとんど意識することもないし、どこにあるのかもはっきり言って知らなかったが(胃の裏側あたりにあるらしい)、これが実は人体の内分泌システムの中では相当重要な役割を担っているのだ。
糖尿の人は「インスリン」注射をすることがあるらしい、という程度の知識はあったし、立花医師の話にもその言葉は出てきた。でも「インスリン」なるものが何なのか、僕はこの本の解説で初めてはっきりと知った。
ものを食べると、それが胃腸で消化され、ブドウ糖の形で血中に取り込まれる。ブドウ糖はさらに細胞に取り込まれて、体を動かすエネルギー源となる。そのとき、ブドウ糖を細胞に受け渡す鍵の役目を果たすのがインスリンであり、それを内分泌ホルモンとして作り出している臓器が膵臓なのだ。
膵臓が正常に機能していれば、血中に取り込んだブドウ糖の量に応じてインスリンが放出される。しかしその膵臓が疲弊していると、必要なだけのインスリンを分泌することができない。その結果、ブドウ糖はただぐるぐると血中を無駄に巡回することになる。これがいわゆる「血糖値が高い」という状態だ。そしてエネルギーとして細胞に取り込まれなかったブドウ糖は、最後には尿と一緒にただ排出される。「尿糖が出る」というやつだ。「糖尿病」の名は、ここに由来している。
もっとも、「尿糖」が出たからと言って糖尿病とはかぎらないし、逆に糖尿病だからと言って必ずしも「尿糖」が出るわけでもないらしい。肝腎なのは、膵臓による自力でのインスリン分泌が正常にできなくなっているということだ。
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