平山瑞穂
シュガーな俺



第7章:海野さん登場(2)

 一方、僕には入院して最初の大きな試練が待っていた。「蓄尿」だ。蓄尿とは、読んで字のごとく「尿を蓄積する」ことだ。排出する尿を、丸一日にわたって、とにかく溜める。午前十二時を始点にして、翌日の午前十二時まで、無条件に一日分、毎回欠かさずにだ。それを分析することによって、膵臓からどれくらいの量のインスリンが分泌されているかがわかり、「型」が判明するのである。膵臓が「弱って」いるだけの「2型」なのか、膵臓が「壊れて」いて生涯インスリン注射が必要になる「1型」なのか。

 指定された日は、職場に出勤することもできない。尿意を覚える都度、病棟に舞い戻ってくるわけにはいかないからだ。形としては、病室でじっとしながら、膀胱に尿が溜まってくるのを待機しているみたいな感じになる。

 尿を溜めると言っても、自分で溜めるわけではない。個人用の壷みたいなものを与えられて、出すたびにそこに溜めていく病院もあるそうだが、都立新宿病院には「蓄尿機」という便利なものがある。
 
 キャッシュディスペンサー大の機械で、スイッチを入れると操作手順を音声でガイダンスしてくれる。自分の名前が書かれたボタンを押すと蓋が開くので、専用のビーカーに排出した尿を、その中に注入するのだ。すると蓋が勝手に閉じて、注入口を洗浄する。これによって、大勢の患者の尿を混ぜることなく個別のタンクに「蓄積」できるのである。

 糖尿病が悪化している人間の尿は、概して量が多い。前にも言ったとおり、ドロドロ血を薄めようとして細胞側から水分が絞り出されてしまう結果、異常に喉が渇いて多飲になるためだ。トイレに行く回数も少なくないが、一度に出る量も増えている。ビーカーは五百ミリリットル入りだが、これが毎回、四百ミリリットルのライン近くまで埋まる。

 一度、出続ける尿がついにそのラインを超えてしまったときには、このまま尿が止まらずビーカーから溢れ出てしまったらどうすればいいのか、と青ざめたが、さいわいなことにギリギリ四百八十あたりで、尿の流出は止まった。

 ただ困るのは、蓄尿機が廊下から丸見えの位置に置かれていることだ。しかも、自分の名前のボタンを押してから注入口の蓋が開くまでの時間が、異様に長い。ボタンを押し間違えていないかどうか確認させるための保険時間らしいのだが、その間、ビーカーの口スレスレまで入ったタップンタップンの尿を手にじっと待たされている方はたまらない。あまつさえ、いざ蓋が開くと、「尿を、入れてください」などという音声の指示が出される。廊下に響き渡るような大声で。それが、人間の尊厳など一顧だにしない、抑揚に欠けたトーンなのがまた腹立たしい。
 
 病棟なんて病人しかいない場所なのだから、まわりの目なんて気にしてもしかたがないことはわかっている。それでも、僕にはこれが、一種の恥辱プレイにしか思えなかった。

 あらためて集計を取ってみると、僕が排出している尿の量は、一日二・五リットル。常人の二倍以上は出している計算になる。まあ、それくらいの量の水分を日々摂ってもいるわけだから当然なのだが、こうして数字ではっきりと示してしまうと、なにやら空恐ろしくなる。

<前のページ

| | |

次のページ>


トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://trackback.nifty.com/cs/trackback/ebooks_trackback/1-015

コメント



コメントを書く

コメントフォーム
名前
メールアドレス
URL
内容

このページの先頭にもどる