
その週の土日は、外泊届けを出して自宅で過ごすことにした。
「外泊ですか? どうぞ、もう、どんどんやってください」
立花医師はそう言う。土日と言わず普段から、もっと頻繁にやってくれてもいい。どうせ退院したら全部自分でやらなければいけなくなるのだから、いい練習になるというのだ。そうは言っても、病棟を出ている間も血糖測定とインスリン注射は続けなければならないし、下手なものを食べれば血糖値が上がってしまう。若干の不安もあったので、ひとまず、土曜の昼食後から翌日曜の夕方まで、という形で届け出を出した。
「では、これが片瀬さんの外泊用キットです」
そう言って大崎さんに手渡されたのは、パスボート大の黒いポーチだった。中には、普段ナースセンターの一画で使っている一式が入っている。血糖測定器とその使い捨て電極チップ、穿孔機とその替え針、紙パックで小分けされたアルコール綿、インスリン注射器とその替え針。そして、「低血糖」を起こしたときのための、ブドウ糖錠剤がいくつか。
日々、隣りの会社には通っているものの、街中に出て行くのも、電車に乗るのも九日ぶりだ。駅の雑踏にさえ、めまいを起こしそうになる。でも僕は帰宅前にあえて乗換駅で外に出て、コーヒーのうまい喫茶店に寄った。カフェじゃなくて「喫茶店」。四人がけの席を独り占めして長居できる喫茶店だ。香ばしい香りに満ちた店内で本を読みながら、じっくりとドリップしてくれるハワイ・コナを待つ。それだけで、満ち足りた気分になる。
そのついでに、つい誘惑に駆られてタバコを一本だけ吸ってしまった。実は未練がましいことに、「どうしても、死ぬほど吸いたくなったとき」のために、入院後にひと箱だけ買ってこっそり持っていたのだ。今、「どうしても、死ぬほど」吸いたいわけではなかったが、この優雅なひとときは一服のタバコをもってしか完成させられない気がした。
九日ぶりのセブンスターは、強烈だった。頭がグラリと勝手に傾ぎ、天井がぐるぐる回る。中学生の頃、初めてタバコを吸ってみたときみたいだ。
そんなひそかな愉しみを満喫してから、僕はマンションに帰った。と言っても、玄関先に出迎えてくれるのはみけ松だけで、奈津はいない。一日置きくらいのペースで夕方面会に来て一時間ほど過ごすのが精一杯で、土日も終日、仕事が入っているのだ。
久々に僕に会えて心なしか嬉しそうにしているみけ松をしばらくかまった後、僕はもともと自分の担当だった住戸全体の掃除に取りかかった。たまの一時帰宅だからと言って、のんびりできるわけではない。むしろ病室にいる間よりもやるべきことは多いのだ。
奈津は普段よりは早めに帰ってきて、『食品交換表』を見ながら夕食を作ってくれた。あと三十分でできあがるというタイミングで、ポーチから一式を取り出して血糖測定と注射をする。穿孔機で指先に穴を開けるさまを見て、奈津が顔をしかめた。もう二十数回この作業を繰り返した僕には、ためらいもない。痛みが減ったわけではないにしても。
奈津は、予告通りほぼきっかり三十分後に食事を完成させた。やはり、基礎がしっかりしている分、ほとんど迷うこともなく自前で理想的な配分の献立を組み立てている。しかもうまい。
「私は食事療法を知らなかったけど、今までも本能的にこれに近い形で献立を考えてた気がする。だから、重さをいちいち計らなくちゃいけないのがちょっと大変だけど、意外と違和感がないよ」
奈津は言う。
「だいたい私、野菜の足りない外食がすごくイヤなんだよね。もっと野菜を食べたいって思う。お母さんが食事のたびごとに煮つけとかおひたしとか、たくさん野菜を並べる人だったから、逆に肉や炭水化物ばかりの食事って気持ち悪いって思っちゃうの」
言われてみれば、奈津がまだ今ほど多忙ではなく、まめに食事を作ってくれていた頃、食卓にはいつもふんだんに野菜のおかずがあった気がする。さいわい僕自身、もともと野菜はかなり好きだ。料理好きな母親が、東京下町育ちだけに若干塩分は高めながら、おおむね栄養バランスの取れた食卓を用意してくれていたからだ。
だったら、奈津の料理を食べつづけていれば、糖尿病になんてならなかったのかもしれない。奈津も、「私がこんなに忙しくしなければ……」と悔やむ。でも結局は、僕自身がいけなかったのだ。家で食事が出ないからと言って、申し訳程度に野沢菜の漬け物がついただけの、天ぷらうどんとかやくごはんのセットなどを昼も晩も平気でたいらげていてはいけなかったのだ。
翌朝、奈津は再び出勤していった。その後、朝食の後片づけをしてひと休みすると、さっそく昼食用の献立を考えはじめた。洋食に飢えていたので、スパゲッティにする。オリーブオイルは少なめに、タマネギをたくさん刻んでホールトマトベースでソースを作れば、それだけで野菜がだいぶ稼げる。そこに冷凍のシーフードを適量入れて、ゆで卵つきのサラダをちょっと添えれば、意外なことに理想的な糖尿病食だ。ただし、パスタの量は、乾麺状態で八十グラム。それまでは一食につき百グラムくらい食べていたので、やはりちょっと少なめが気がする。
できあがりの時間を逆算して三十分前に注射を打ったつもりが、仕上げの段階で意外と手間取って十分ほどオーバーしてしまったときは、かなり焦った。未経験なだけに、「低血糖状態」が恐ろしい。自宅で誰にも知られずに昏倒して死ぬなんてまっぴらだ。
無事昼食も終え、翌週のためのワイシャツを揃えようとしたら、アイロンをかけてあるものが一枚もない。洗濯とアイロンの担当は一応奈津だが、土日も返上に近い毎日の中、その時間も取れなかったのだろう。五枚のワイシャツにアイロンをかけ、ついでにせめてもの手伝いのつもりで、持ち帰った一週間分のワイシャツを洗濯したあたりで、もうタイムアップだった。僕は奈津に簡単な置き手紙を残して、再び現在の住処である都立新宿病院に戻っていった。
「お帰んなさい」
と、ちょっと嬉しそうに海野さんが言った。懐かしいなとは、正直なところ、少しも思わなかった。
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