
例によって、食後なかなか奈津が洗い物に取りかからず、しびれを切らした僕が黙ってシンクの前に立ったときのことだ。奈津はリビングのソファにぐったりと身を預けたまま、やはり、何も言わない。僕はそれまでに積もりに積もった疲れや不満が、もう喉元まで迫ってきていた。言葉に出して言わないかわりに、僕はつい、スポンジで汚れをぬぐった皿をシンクに乱暴に放り出す、という形でそれを表現してしまった。
「あ、私、あとでやるから……」
ソファから奈津がだるそうな声でそう言う。
「いいよ、疲れてるんでしょ?」
思いやりに満ちた言葉とは裏腹に、口調はギスギスしたものになる。当然、奈津もそれに反応し、かみついてくる。
「だったらなんでそんな、ガチャガチャ音立ててやるの? あてつけみたいにさ」
それを聞いた瞬間、僕の怒りゲージは最高点に達した。
「だって、なんで僕がやんなきゃならないのかなって!」
「だから、あとでやるって言ってるじゃない!」
「“あとで”って、いったいいつ? いつも何時間も放置してるじゃん!」
「疲れててすぐにはできないんだよ!」
「そう思って待ってても一向にやる気配がないから、しかたなしにこっちがやってんじゃん! で、最初のうちは“ごめんね”とか言ってくれたけど、最近はそれさえないじゃん! 黙ってこっちにやらせてるだけじゃん! 当たり前みたいな顔してさ!」
「だって、頼んでもないのにそっちがやっちゃうから! 自分で勝手にやってることで私にあてつけないでよ!」
「“勝手にやってる”……って、なにその言い草! だったら誰がここ片づけんの!」
「だから……いつも最後はやるつもりでいるんだよ! それをそっちが勝手に!」
もう日付も変わろうかという深夜、マンションの一室で、カウンターを挟んで二人の怒号が飛び交った。二人とも疲労が限界に達しているので、気遣いなんて吹き飛んでいる。おたがいの苛立ちを生のまま相手に叩きつけているだけだ。
しばし、鬼のような形相で睨み合ったままの膠着状態が続き、それからようやく僕は、いからせた肩を少し落として語を継いだ。
「いや……ここ片づかないと、実際問題、明日の仕込みもできないしさ……。そう、仕込みと言えば、弁当だって結局ほとんどあてにできないじゃん。午前一時の時点で洗い物さえ終わってなくて、それから弁当用のおかずとか準備できるのかなって、当然こっちは気を揉むでしょ?」
「たしかに、お弁当は作れないときがあって、それは悪いなって思ってる……」
奈津も、ややトーンダウンして続ける。
「でもそういうときは、コンビニとかで買うのじゃだめなわけ? カロリー表示だってあるから、ある程度は調整つけられるじゃん。しかも毎日ってわけでもないでしょ? どうしてそれが許せないの? どうしてそう、なにもかも完璧にやろうとするの?」
これを言われると、僕は口ごもってしまう。たしかに僕は、あまりにも完璧にやろうとし過ぎる。そもそも共働き夫婦の所帯で、「完璧な食事療法」を貫徹しようとすること自体が、たぶん無謀なのだ。そこにあえて挑戦しようとしているのは僕の勝手であって、結果としてそれに奈津を巻き込む形になっているのだとしたら、あきらかに僕の分が悪い。
でも僕は負けを認めるのが癪(しゃく)で、話を横滑りさせてしまう。
「いや、洗い物や弁当のことだけじゃないよ。洗濯だって、ほとんどできてないじゃん。いつかはやってくれるのかもしれないけど、日曜時点で現に翌日着ていく下着やワイシャツがなくて、当日も奈津は仕事で、帰ってくるのが夜遅くだってわかってれば、現実問題として僕が日中に自分でやらざるをえないじゃん、洗濯もアイロンも」
「それは……それは悪いと思ってる。でもアイロンかけるのってすごく重労働で……」
「うん、……たしかに、それは自分でやってみてよくわかった。ハンカチとかならともかく、ワイシャツはほんとにたいへんだよね、一枚やるだけでもけっこうしんどい」
「そうなんだよ……」
おたがいに言いたいことを言ったおかげで、「家事はたいへんである」という共感が二人の間に芽生え、そこからは建設的な話し合いになった。
奈津の言い分と提案はこうだ。残業して帰ってきて食事を取ると、ほっとするせいかどっと疲れが出て、しばらくはどうしても動く気になれないので、間が空いてしまうのは勘弁してほしい。ただ、洗い物は必ずやる。その晩のうちにできなかったときは翌朝やるようにする。そのかわり、食器洗浄器の導入を検討させてほしい。
ワイシャツの洗濯とアイロンは、もともと「クリーニングに出すのはもったいない」という理由で自分が勝手にやっていたことだが、この状況では今後いつもできると約束はできない。だから今後は、クリーニングに出すことにしてはどうか。ただし、かかった費用については請求してくれてかまわない。
ちなみに、費用についてなぜこういう論議が出てくるかと言うと、共働きの子なし所帯であるわが家は基本的に「独立採算制」を採用しており、家計費は半々ずつ拠出した中からやりくりして、それ以外はおたがいに自分の給料を勝手に使うというシステムになっているからだ。自分だけが使う持病の薬代、自分だけが着るスーツのクリーニング代などは、「家計費」ではない。めいめいが自分の財布から払うのだ。
だから僕が自分のワイシャツをクリーニングに出すなら、本来その費用は僕自身が負担しなければならないはずだが、奈津はそれを肩代わりする、と言うのである。それくらいはいくらでもないので自分で払うと僕は主張したが、「そのへんはきっちりしないと」と奈津は譲らなかった。
問題は、もう一方の食器洗浄器だ。僕は最初、この提案に難色を示した。もともと、こんなことになるまで洗い物は僕の担当で、僕自身はその作業を、負担に感じたことがなかった。料理も洗い物も両方、となれば話は別だが、単体で「たいへん」と思ったことはなかったのだ。だから、機械にそれを肩代わりさせるという案が、今ひとつピンと来ない。それに僕が知っている「食器洗浄器」とは、学生時代、居酒屋でアルバイトしたときに厨房で使っていた、洗濯機みたいに巨大な代物だった。
「最近はもっとずっとコンパクトなやつが一般家庭用にどんどん売り出されてるんだよ。私、今度どこか量販店に行ってパンフレット見てくるから」
奈津にとって、洗い物はもともとまったく好きになれない家事だ。基本的に疲れている中では、負担感もいっそう高まるだろう。それを思えば、奈津の提案にも無理からぬところがあると思わないわけにいかなかった。
「考えてみれば、共働きでお金に困っているわけでもないんだし、お金で解決できることはどんどん切り替えていこうよ」
その主張も、もっともだと思った。二人の年収を合わせれば、一千万は軽く超えている。そこからいくばくかのお金を出して食器洗いを機械化するごときが、なんだと言うのか。とにかく、いつも二人でギスギスしているよりはましだ。
こうしてわが家のキッチンには、最新式の食器洗浄器が設置される運びとなった。
導入後、奈津は「すごく楽になった!」とほくほくしており、実際に以前より洗いものを厭わなくなった。それが置かれたことで、料理を作る際の作業スペースが大幅に削られてしまったことが玉に瑕(きず)だったが、トータルで見れば、購入は正解だったと言える。汚れた食器を軽く水洗いしてから中のトレーにセットし、ボタンを押してほうっておくだけで、乾燥まで自動的にやってくれるという優れものだ。
ただ、食器の枚数にかかわらず、洗浄・乾燥には意外と時間がかかる。夜中、喉の渇きに目覚めてキッチンへ向かうと、奈津が寝る直前にセットした洗浄器が人知れずまだゴンゴンと音を立てて回っていることがある。それが片瀬家における、深夜のひとつの風景になった。
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