平山瑞穂
シュガーな俺



第14章:不本意な再会(1)

 それからの数ヶ月を、僕は浪人糖尿病患者として過ごした。どこの病院にもかかっていない、さまよえる糖尿病患者だ。

 すぐにでも転院手続きを取ろうと思っていたのだが、家事その他に圧迫される毎日の中ではなかなか病院探しもままならず、薬を多めに処方してもらっていることもあって、つい油断したのだ。気がついたら、その薬もあと二週間分しかない。もはや吟味する余地もなく、最初に立花医師が名を挙げていた都立板橋病院に急遽電話してみたら、ひと月先まで予約でいっぱいと言う。

 紹介状もあるというのに、どうしてそんなに待たされるのかわからない。激増する糖尿病患者の数に対して、専門医の頭数が少な過ぎるのだろうか。理由はどうあれ、それでは二週間も薬なしの状態になってしまう。第三セクターの経営に変わった古巣の新宿病院に泣きついたら、別の内科の先生が処方だけしてくれるというので、僕はもう一度だけ新宿病院に顔を出すことになった。見知らぬ医師は、僕からそれまでの処方を聞いて、その通りに二週間分の処方箋を書いてくれた。

 ただし、そのときは文字どおりつなぎの分の薬をもらっただけで、検査をしたわけでも診察を受けたわけでもない。最後に血液検査をしたのは三月下旬、晴れて板橋病院の患者になることができたのは六月中旬、実に三ヶ月もの間、僕は宙ぶらりんの状態で薬だけ飲んでいたのだ。
 
 そしてこの三ヶ月間が、糖尿病患者である僕にとって、ある意味で最悪の日々となった。

 どういうわけか、病状がさらに悪化していったのだ。それも、坂道を転げ落ちるように急速に。

 最後の検査でヘモグロビンA1cが悪化に転じていたのは、その前振りに過ぎなかったのだ。なぜなのかはわからない。ただ、悪くなっているということだけはわかった。検査など受けなくても、疑いようのない自覚症状が出ていたからだ。

 糖尿病の場合、症状が自覚できるようだと、すでにかなり進行していることが多い。だからこそ、恐ろしいと言われるのだ。発病当初は、それを「糖尿病の症状」として「自覚」することを拒みつづけていた僕だが、二度目もそうするわけにはいかなかった。それが糖尿病の症状であることは、ほかならぬ僕が一番よく知っているのだ。

 僕は再び、異常な喉の渇きを覚えるようになり、頻繁にトイレに通っては大量の尿を排出するようになった。退院後の規則的な食事と筋肉トレーニングで、何ヶ月もかけてやっと五キロほど回復させた体重も、見る間に落ちていった。それにつれて階段の昇り降りがつらくなり、顔はほとんど頭蓋骨の形がわかるほどまで肉が落ちた。肌は土気色で色つやもなく、鏡で自分の顔を見るのが怖かった。そしていつも、体が鉛でできているかのようなだるさがあった。
 「また痩せたんじゃないの?」

 そんな風に無邪気に声をかけてくるのは、たまにしか顔を合わせない、そして事情もよく知らない人だけだった。身近な人々は、僕の変化にあきらかに気づいていながら、そのことを指摘していいものかどうか考えあぐねていた。彼らがそう思っていることが、肌で感じられるのだ。

 僕は口では、あいかわらず熱心に食事療法と運動療法を続けていると表明しつづけていた。それなのに、見かけは日々着々と重症の病人めいたものになってゆく。僕が嘘をついていると思った人もいるかもしれない。でもおおかたはおそらく、僕本人が変化に気づいていないはずがない、と思って、あえて明言できずにいたのだ。それほどまでに、僕の変化は激烈なものだった。

 遠慮していたのは、奈津も同じだ。僕が気づいていることを、そしてそれを気に病んでいることを、奈津ほど切実に感じ取っている人間はほかにいなかっただろう。たまに、「最近、調子はどうなの?」と気遣わしげに訊いてくることもあった。でもそれを言われると、僕があからさまに不機嫌になるのが奈津にはわかっていた。

 「なんでだろう、どうして悪くなっていくのかな」

 僕はよっぽど、そう言って奈津に取りすがりたかった。少なくとも奈津にだけは、僕が数値の改善のために誠心誠意努力しつづけているということを百パーセント信じてもらえる。その姿を、彼女は毎日、間近に見ているからだ。

 しかしその一方で僕は、「こんなはずはない!」と心に叫びつづけてもいた。やれることは精いっぱいやっている。それでもどんどん悪化していくだけなのだとしたら、これまでに学んできた、そして実践してきた療法それ自体が間違っているということになるんじゃないのか? 「悪化している」ということを口に出したら、その時点で、それが覆しようのない事実になってしまう気がした。

 だから僕は、一人でこの事態を抱え込んでいた。そして気がつくと、常に不機嫌な人間になっていた。

 こんなに頑張っているのになぜなのか、というやり場のない苛立ちが、コップから溢れる寸前の水みたいにいつも僕の中にみなぎっていた。僕は怒りやすくなり、些細なきっかけで癇癪(かんしゃく)を起こすようになった。あるいはそれ自体が、「症状」のひとつだったのかもしれない。

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