太王が打ち立てた業績は、対外征服・征伐の事業が中心で、国内の政治・経済的な業績についてはあまり伝わっていない。
けれど二十二年の在位期間の間数多くの戦争を続けたため、そのために必要な経費や労働力は莫大なものだったと推測される。
前代から蓄積された準備と国家的な意見統一。ソスリム王から太王まで三代に渡り、国家的に行われた政策はほとんど変化がなかった。
すなわち、太王の征服事業とは彼が独自に計画して行ったものではなく、ソスリム王の時期から徹底的に準備してきたということだ。
太王の先代である「ヤン(襄)王(コグッヤン王)」も多くの戦争を経験しながら、国内的にはソスリム王の政策を継承していたので、太王から長寿王まで行われた領土拡大が先代の国力蓄積によるもの、という証拠でもある。
では具体的に彼の治績にはどのようなものだったのか?
まず、太王はソスリム王の時から推進してきた仏教政策を引き継ぎ、平壌に九つの寺を建立した。太王が国内城ではなく平壌に寺を創建したことは、二つの事実から裏付けられている。
一つ目の事実は、首都中心の仏教圏が拡大され、仏教の影響が広がったということであり、二つ目の事実は、太王の息子の長寿王の時に平壌へ首都を移すのだが、太王の時代から平壌に関心をもっていて、首都移転が準備されていたということだ。
また、太王は宮殿と城を増築・修理していった。これは、王の威厳を確保するための措置だったと思われるが、国家組織と政治規模の拡大によってさらに効率性を高める効果を図ったに違いない。
だだし、残念ながら、太王の治績は史料が少なすぎて内容的にあまり知られていないものが多いのも事実である。
国家財政に関する問題はどうだろう。
数多くの戦争を行うには莫大な経費が必要だったが、太王はその財政をどのように充当していたのだろうか?
ソスリム王の時代から財政を蓄積してきた可能性が高いと思われるが、そのためには、当時、高句麗の生産力が発達し、生産が飛躍的に拡大していたことが大前提となる。
太王の時代には領土拡大に伴い、その土地から経済的な利益を吸収したと推測できるがそれも財政難を克服できたひとつの要素であろう。
また国外の四方を駆け回っていた太王は、諸外国と接触する機会が多かったため、貿易による利益確保にも熱心で、かなりの成果を収めたと考えられる。
のちに広開土太王と尊敬を集めた彼が、自身の名声にふさわしい王だったとすれば、経済感覚に優れたセンスの持ち主だった、と考えてもおかしくはないだろう。
ドラマ『太王四神記』では、財政面をはじめ国内政治の治績に秀でた太王、タムドクの姿が描かれている。その部分を気にしながら本編を鑑賞することも、『太王四神記』を楽しむ方法のひとつであろう。